僕は弱い人間です。
けれど、幼い頃から強くなければいけませんでした。

江戸時代から続く家系に生まれたために、「良い子でいなければいけない」「優秀でなければいけない」という状況だったのです。
少なくとも、自分自身で「強くないといけない!」と思い込んでいました。
でも、ずっとずっと気が弱くて、人の目が怖くて、自分に自信がなくて、やっぱりずっとずっと弱いままでした。
だから、いっぱい勉強をしました。体も強くなりたいと運動を頑張りました。絵や音楽なども自分なりに努力しました。
そのおかげで“いい学校”に入れました。
高校は地元のトップの進学校に入り、一浪しつつも関東の国立大学に入りました。「いずれは大企業の社員か官僚になるかだね」と言われました。
そうやって“強い自分“や“評価される自分”であり続けようと努力し続けてきました。
けれど、どこかで違和感があって、周りが敷いたレールや世間の常識に縛られることが嫌になり、自分の夢を見つけました。
「声優になる」という夢でした。
だから、声優の養成所に入って、演技や発声やその他色々なことを学びました。
「優等生で育ってきたのに、そのレールから外れた生き方をする」という、そこにある意味“強さ“や“カッコ良さ”を見出したがために、社会の常識ではなく夢に生きることを選んだのです。
その結果、声優プロダクションに入ることができました。あくまで研修生としての所属でしたが、それでも自分の夢を叶える直前まで行きました。
けれど、挫折しました。
どんなに勉強しようと、どんなにスキルを磨こうと、どんなに努力をしようと、根っこの自分が弱いままだったので、肝心なところで失敗してしまうのです。尻込みしてしまうのです。
結果、周りの同期生たちは声優の仕事で活躍するのに、自分は何も成果を上げることができませんでした。
「声優にもうすぐなれる」という立ち位置まで行けたくせに、結局、最後の一歩が踏み出せずに終わってしまったのです。
そこからも、ずっと同じことの繰り返しです。
声優の夢に破れて実家に帰り、家業のために不動産の勉強をし、資格をいくつか取りました。
中には「土地家屋調査士」という難関とされる資格もありました。取得はできませんでしたが「司法書士」の勉強もしました。
ですが、その資格を使って会社に就職できても、継続することはできませんでした。
会社の中である程度の評価はされても、着実な成果を上げて昇進できるわけではなく、かと言って独立する度胸もありませんでした。
それどころか、とにかく「仕事ができる自分でありたい」「何でもいいから評価を得たい」という気持ちで取り組んだ結果、多くの仕事を抱え込むことになり、親の意向で退職することになりました。
ここでも、もう一歩を踏み込めずに逃げ出す結果となったのです。
その後も、「自然に優しい農業をしよう!」として、少しだけ栽培はできてお客様が現れてくださっても、持続的に利益の上がる経営をすることはできませんでした。
「農業がダメならインターネットで何かをしよう!」
昔からネットで何かを表現することが好きだった僕は、「インターネットビジネス」というものがあることを知り、そこで収益を上げようとしました。
家に資産があるにも関わらず、「強い自分でないといけない」「自分でお金を稼げる人間でないといけない」と、自分の能力を使った仕事をしようと思ったのです。
そして、ある程度うまくいきました。
一時期は月収が200万円を越えて、自分の好きなこともできたし、家族にも喜んでもらうことができました。
- 「これでやっと理想の自分になった!」
- 「お金を稼げる自分になった!」
- 「昔からずっと憧れていた“強い自分”になれた!!」
と思うことができたのです。
ですが、その“強さ”は仮初めのもので、薄く貼られた金メッキのようなもので、すぐに剥がれて落ちていきました。
勇気を持って更なる一歩を踏み出すことができなかったがために、収入は途絶え、ネットでの活動もできなくなりました。
いえ。ここでもやはり、僕は逃げ出したのだと思います。
自分の“弱さ”が現れて、自分自身の足を引っ張ったのだと思います。
「その先は行ってはいけない!」
「自分は本当はこんなに弱いのだから、これ以上やったら壊れてしまう!」
そんな感じで、あと一歩のところで急ブレーキをかけてしまうのです。だから、上手くいきかけて上昇していたところから、一気に急降下してしまうのです。
僕の人生は、この繰り返しでした。
- 弱いから“強さ“に憧れて「強くなりたい」と思う
- 強くなるために知識やスキルを身につける努力をする
- その知識やスキルである程度の成果を出せる。人からの評価も得られる
- けれど、根っこのところが“弱い“ために、肝心なところで踏み込めなくなる
- 結果、“強い自分”を保てなくなり、挫折してしまう
だから、ずっと何もかもが中途半端でした。
ずっとずっと夢も理想も叶えられないままでした。
ずっとずっとずっと弱いままでした。
こうやって、“弱い自分”に苦しめられ続けてきたのです。
「こんな弱い自分をどうすればいいのか?」これがずっと僕の人生の課題でした。
けれど、昨日ふと気づいたんです。
「もしかしたら、この“弱い自分”は変えられないのかもしれない」
ということに。
気づけば36年間、僕はずっと「自分を変えたい」と思い続けてきました。
「弱い自分は嫌だ」「強い自分になりたい」と思い続けてきました。
そのために色んなことを頑張りました。いっぱいいっぱい自分に無理をして、努力し続けてきました。
けれど、これだけの時間と努力をかけても“弱い自分”は変わりませんでした。
「なら、もうこの先ずっと“弱い自分”は弱いままなんじゃないのか?」
そう思ったのです。
そして最近、自分の名前についても気づくことがありました。
僕の名前は「秀一」というのですが、「秀」の中の「乃」は「なよなよする」という意味を持っているそうです。
そう。名前からして、もともと弱いのです。
ですが、この名前について学校の先生から、「“秀でて一番”だね!」と言われたことがあり、
「僕は優秀でないといけない!」
「人から評価を得ないといけない!」
「強くないといけない!」
と思っていました。
つまり、「自分の名前や他人の期待にふさわしいように頑張らねば!」と思い込み続けていたんです。
けれど、丁寧に見ていくと、もともと「なよなよする」という弱っちい意味だったことがわかりました。
だから、ある意味、自分が弱いことにすごく納得なのです。
ですが、こうやって
- 自分はもともと弱いんだ
- きっと弱い自分を変えることはできないんだ
- この先も、ずっと弱いままなんだ
と思えたとき、逆に強くなれる気がしました。
「秀」という字は、稲や麦などの穀物が穂を出す様子を表しているそうですが、稲も麦も、その穂はなよなよとしています。風や雨に当たれば、ユラユラと簡単に揺れます。
けれど、そうやって弱く揺れるからこそ、外部からの影響を受け流すことができます。
逆に強く硬い状態になってしまうと、茎がポキリと折れて、実りをつけられなくなってしまうのです。
弱いからこそ、実りをつけることができるのです。
人間の人生もこれと同じ。
“弱い自分”がいるからこそ、自分が本当に為すべきことで成果を出せたり、次の未来へ何かを残せるのではないでしょうか。
つまり、“弱い自分”を認めることから、最初の一歩が始まるのだと思います。
自分の名前の「秀一」の「一」は、「はじまり」や「最初の一歩」という意味を持ちます。
「弱い自分を認め、それを受け入れることから、人生の実りが生まれ始める」
自分の名前から、そんなことを感じています。
だから僕は、人にも伝えたいのです。特に、自分の弱さに苦しんでいる人や、それを変えたいと思っている人、強くなろうと頑張っている人に……。
“弱い自分”を変えようとしなくていいんですよ
“弱さ”があるからこそ、本来の自分の未来へ進んでいける
“弱さ”は「なよなよ」だけではなく、「しなやかさ」や「柔らかさ」をも生む
しなやかで柔らかいからこそ、社会や時代の変化を受け入れ、次の未来へ進んでいける
だから“弱さ”を否定しなくていい。「強くなろう」としなくていい
“弱さ”を受け入れることから、全ては始まるんです
そんなことを、これから伝えていけたらと思います。
何より、自分自身の“弱さ”を受け入れて、ゆっくりと自然体で進むことから始めたいと思います。