「お前は停滞する」
ということを神様に言われました。
いえ。僕には霊感などはないので、実際に声が聞こえたわけではありません。二週間ほど前に参拝させていただいた神社で、そんなおみくじを引いたのです。
此のみくじに逢う人は、今は何事も滞りがちで通達しないから、進まずに暫く止まって、時期を待つがよろし。
そして、この「滞(とどこお)りがち」という状況が、今まさに起こっています。
稲刈りの停滞から見えた改善点
こんにちは! 「農マドワーカー」の泉林(いずばやし)です。
10月に入り我が家にも稲刈りシーズンがやって来たのですが、一向に進みません!(>_<) 雨と曇りが続いていて、田んぼの地面が乾かず作業が進められないのです。めっちゃ“滞(とどこお)って”おります……。
ただ、そんな中で今年のお米作りの改善点も見えて来ています。「こんな風に植えればよかったな」とか「あの時に、あんな対処をしておけば……」という風に。
こうやって“停滞”するからこそ、次のステップが見えてくるのだと実感しています。
失敗は成功の母
こうやって停滞状況と改善点を見つめていると、「失敗は成功の母である」という言葉が思い浮かびました。「失敗」と「停滞」は少し意味合いが違いますが、今の自分に起こっていることは、まさにコレだな、と。
今年の田んぼを振り返って、様々な“失敗”が思い浮かぶからこそ、来年からの改善点を見つかっているのです。
そういえば、ここ最近のブログ記事には「失敗」という言葉をたくさん使っていました。




こんな風に、この10日ほどの間に4記事ものタイトルに「失敗」という文字が入っています。
これは意図して付けたものではなく、完全に無意識にやっていました。いま自分で振り返って、ちょっとビックリしています。
なので、今の自分にとって「失敗」と向き合うタイミングなのでしょう。
けれど、先ほども言ったように「失敗は成功の母」。失敗があることで、改善点が見えて来ます。
失敗や停滞こそ必要
というか、失敗をしないと改善点って見えてこなくないですか?
今更ながら気づいたのですが、何事も順調に進んでいれば、その取り組みに関する欠点を見つけることができません。
それに、もっと良い方法があるかもしれないのに、それを探そうとしなくなります。
失敗するからこそ成長する。いえ、「成長するためには失敗が不可欠」ということになります。
停滞するから失敗に気づく
そして、その“失敗”に気づくためには、“停滞”が必要です。
ずっと前進している状態が続けば、失敗に気づくこともできません。
例えば、自動車で走っていて何らかのトラブルが起こっていたとします。けれど、そのまま前進ばかりしていたら、車体の変化や異状には気づけません。進むことを止めて車体を見つめることで、そのトラブルを見つけ対処に当たることができます。
だから、物事には停滞する時期が必ず必要なのだと思います。
- 停滞するから、これまでの失敗に気づく
- 失敗に気づくから、改善点が見つかる
- 改善点が見つかるから、次の成長が生まれる
という流れが生まれていきます。
「失敗が悪い」は思い込み
でも、一般的には「失敗」や「停滞」は良くないものだとされます。誰だって失敗は避けたいですし、僕だって停滞したくはありません。
これは、どうしてなのでしょうか?
あくまで個人的な考えですが、「失敗」や「停滞」という言葉に元々ネガティブなイメージが付いてしまっているから、そう感じてしまうのではないかと思います。
先ほどまで見て来たように、冷静に見つめれば、「失敗」や「停滞」は必要なものです
「失敗」や「停滞」があるからこそ「成長」や「改善」に繋がります。だから、事実だけ見れば「失敗」や「停滞」はネガティブなものではないはずなのです。
けれど、そこにネガティブなイメージがあるということは、多くの人が客観的事実ではなく主観でそのイメージをくっつけている、という見方ができるのです。
わかりやすく言えば、「失敗は悪いものだ」と思い込んでいるということですね。
失敗ってそもそも何?
というか、そもそも「失敗」って何なのでしょうか?
ネットの辞書を調べてみると……
[名](スル)物事をやりそこなうこと。方法や目的を誤って良い結果が得られないこと。しくじること。
goo辞書より引用
という風に書いてあります。
確かに「やりそこなう」とか「方法や目的を誤る」とか「良い結果が得られない」とか、言葉そのものにネガティブな意味が込められていますね。
言葉そのものがネガティブイメージを持っていると言えます。
となれば、先ほどの話とも関連しますが、「失敗」という言葉を使えば、客観的事実がどうあれ、人間の頭はネガティブな意味を想起してしまいます。
事実そのものはネガティブでなかったとしても、それを「失敗」と呼ぶことによって、その事実にネガティブな印象を持ってしまうのです。
では、失敗した事実にネガティブなイメージを持たず、積極的に成長や改善に繋げるためにはどうすればいいのでしょうか?
「失敗」という言葉を使わない
答えは、「失敗」という言葉を使わないということです。
この大きなヒントになるのがエジソンのエピソードです。
エジソンは電球を発明するまでに、1万回の実験に失敗したと言います。ですが、彼はそれを「失敗」とは捉えていなかったのです。
電球の発明に付いて取材されたとき、彼は
「私は失敗をしたのではない。1万個の上手くいかない方法を発見したのだ」
と答えたのだと言います(すみません……言葉はうろ覚えです(- -;;)。
つまり、実験が想定通りにいかなかった事実を「失敗」だとは呼ばず、「発見」だと捉えていたのです。
こうやって「発見」と定義することで、別の方法を考え次のステップへと進む。こんなエジソンの姿勢に学べるところは大きいです。
先ほど見たように「失敗」という言葉そのものにネガティブなイメージが込められているので、この「失敗」という言葉を使わず「発見」と捉えることで、次の成長へと繋げることができるのです。
停滞から“未来のための発見”が生まれる
こうやって考えてみると、今の僕の“停滞”は、「発見」がたくさん生まれる状況だと言えます。
あるいは、「停滞」という言葉にもネガティブなイメージはあるので、これも別の言い方をして、「休憩」とか「検証」という言葉に置き換えてもいいかもしれません。
こうやって立ち止まって“検証”することで、たくさんの「発見」を得ることができ、自分の進みたい未来へ向かう道が見えて来ます(^^)
- 停滞するから、これまでの失敗に気づく(=検証できる)
- 失敗に気づくから、改善点が見つかる(=発見が得られる)
- 改善点が見つかるから、次の成長が生まれる
この3ステップを忘れずに進んでいきたいと思います。
天気は昨日から回復して、そろそろ田んぼの地面も乾いて来ました。稲刈り、頑張ります!!