「最近、優しいね」と妻に言われました。
少し意外でしたが、そうなっていたかもしれません。
「なんで?」と聞かれました。
なので、考えてみました。
答えは結構シンプルで、「今まで大切にしていたこだわりを捨てたから」です。
「大切にしていたものを捨てる」と言うとネガティブに聞こえるかもしれないので、また別の言葉でいうと、
「頑固な考え方を捨て去ったから」
となります。
今まで
- こういう考え方や行動が大切だ!
- 人間はこんな風に生きねばならない!
- 人に対してはこう接しなければならない!
- 子育てはこうあらねばならない!
と考えていたこと思い切って捨てたので、心が柔らかくなり、色んなことを柔軟に受けとめられるようになったのだと思います。
ショックな出来事が続きました
ブログへのご来訪ありがとうございます! 「農マドワーカー」のいずばやしです。大阪の郊外で自然農法の田んぼをしながら、インターネット関連の仕事もしています。
……と言いつつ、このブログでは農業のことやネットのことは余り書いておらず、生き方のこととか心のこととか、夫婦関係や子育てのことなどを書かせていただいています。
(要するに、「なんでもあり」のブログなのです( ̄▽ ̄))
ですので、今日も“心のこと”を書いていこうと思うのですが、最近の自分の心には大きな変化がありました。
その変化のおかげで、「優しいね」と妻に言ってもらうことができました。
じゃあ、どうしてそうなったかというと、
めっちゃショックなことや悲しいことが立て続けに起こったから
です(T-T)
マイナスな出来事の裏にはプラスもある
「ショックなこと」や「悲しいこと」って、一般的には歓迎されたものではありません。
僕自身も、好き好んで最近の“ショックなこと”や“悲しいこと”を体験したわけではありません。
ですが、大きなマイナスの出来事が起こると、それだけ大きなプラスを得られることも確かです。
じゃあ、具体的にどんなことが起こったかと言うと……
- 自分が子育てに対して「こうあるべき」と思っていたことが妻には受け入れられなかったこと
- そこから更に、ケンカになってしまったこと
- そして、それに関して妻のお友達からもご批判を受けてしまったこと
また、別のところでは
- ちょっとした拍子に大量のデータを保管していたHDDを消去してしまったこと
- そこには妻が大切にしていたデータが入っており、自分自身のダメさ加減を思い知らされたこと
- それに、自分のクライアントさんには「データの保管が大事ですよ!」と言っていたくせに、自分自身でデータを吹き飛ばしてしまったこと
- 何とかデータを復旧しようと業者さんに依頼したら、多額の費用がかかってしまったこと
も起こりました。
要するに自分の至らなさや失敗が重なって、
「僕って、めっちゃダメダメやん!(T-T)」
と自己嫌悪に陥ってしまったわけです。
なんでこんなことが起こるんだ?!
いえ。正確にいうと、「自己嫌悪」までは落ちませんでした。
僕は少年時代からネガティブな性格で、しょっちゅう自己嫌悪になっていて、そのツラさにほとほと飽きていたので、もう今さら自己嫌悪になろうとは思わなかったからです。
(その意味で、強くなったのかもしれません( ̄▽ ̄))
ただ、ショックだったことは間違いなく、
「なんでこんなことになるんや!」
「そんなバカな!」
といった思考が生まれました。
僕自身は子育てに関して間違っているとは思っておらず、妻にも周りの人にも自分の考えを受け入れてもらえると思っていましたし、
自分のデータ管理は完璧で、ミスなんて犯すはずがなく、データを吹き飛ばすなんてありえないと思っていたので、
眼の前で起こっている「夫婦ゲンカ」や「僕への批判」や「データの消失」が事実だとは信じられませんでした。
ですが、どんなにごまかそうとしても、そこには確かに自分の考えとは異なる現実が存在しているわけです。
自分の想定していた事態とは全く異なったことが、目の前に迫っているわけです。
となると、原因はめちゃくちゃ明白で
「そうか。僕の考えが間違っていたのか!」
ということに気付いたのです。
自分の考え方が間違っていたのか!
「自分が今まで大切にしていた考え方やこだわりが間違っていた」
これを認めるのも、ある意味ショックです。
けれど、どう頑張っても逃げられるものではないので、もはや自分のことが滑稽に思えてきました(^^;;
「なーんや。結局のところ、自分が今まで『大切だ!』と思っていたことは、他の人にとっっては全然大切ではなくて、勝手に自分で思い込んだだけのものだったのだな」
……と。
そう思うと、自分が今まで「めっちゃ大切!」と思っていたことが、そこまで大切ではなくて、どちらかというと取るに足らないものなのだな、と思えて来たのです。
自己嫌悪に陥らなかったのは、こういう思考に切り替えられたからかもしれません。
それに、ここまで自分がダメダメと気づけたことで、むしろ心がすごく軽くなりました。
「そっか。自分が今まで大切に守ろうとしていたものは、そこまで守るほどのものではなかったんだな」
「むしろ、他の人にとってはどうでもいいことなんだな」
「じゃあ、『めっちゃ大切!』って力を入れて守り続ける必要なんてないんだな」
という風に、いい意味で力が抜けたんです。
今までは「これが大事!」と心の中で頑なにギュッと握りしめていたものが、ふわっとほどけた感覚です。
そして、そうやって力が抜けることで、他の人に対して思いやりや優しい気持ちを持てるようになりました。
余計なプライドを捨てて“すっぱだか”に
一見すると、「自分がダメダメだと気づく」「今まで大切にしていた考え方を捨てる」というのは悪いことに見えます。
けれど、それは
- 頑なに守ろうとしていた余計な力が抜けること
であり
- 自分のこだわりを捨てることで、他の人の考えを受け入れられるようになる
ということでもあります。
もう少し極端な言い方をすると、
自分がダメダメだと気づくことで、「もうダメです!」「自分の負けです!」「降参です!」と余計なプライドや知識や経験を全て捨て去って、心をすっぱだかにする
ということです。
そうやって“すっぱだか”になり、過去の経験とか知識とかプライドとかが空っぽの状態になれば、ニュートラルに物事や人を見られるようになります。
そうすると、
- 今までイラ立っていたことも全く苛立たなくなり
- 人に対しても変な恐れや不安を抱かなくなり
- 眼の前の物事も素直に受け止められるようになる
という変化が起こったのでした。
心が軽くなり“本来の自分”に戻れた
ぶっちゃけ、夫婦ゲンカをしてしまったことは非常に申し訳なかったですし、消えたデータを復旧させるためにかかった○十万円の出費はめっちゃ痛いです(^^;;
けれど、そういったショックな出来事を経験する中で、自分の未熟さやダメダメ加減に気づき、プライドや頑固さを捨て去ることで、非常に心が軽くなったんです。
これをきっかけに、日々を過ごすことが とても楽になったように思います。
たしかに失ったものも大きいのですが、なんというか“本来の自分”に戻ったような感覚です。
僕が今まで「これが大切だ!」と思っていた考え方や価値観は、実は成長過程で誰かに教えてもらったことだったり、社会で生きる中で刷り込まれたものだったのかもしれません。
なんにしても、今から振り返ると「どうしてあんな価値観を大切にしていたんだろう?」と思うくらいです。
そうやって余計な考え方や価値観やプライドや頑固さを捨て去ることで、“すっぱだか”の自分……本来のあるべき自分に少し戻れたような気がします。
本当に大切にしたいものが見えてくる
とはいえ、自分の中にはまだまだ他のプライドや頑固さもあるので、完全に“すっぱだか”になれたわけではありません。
きっと、これから生きる中でまたショックな出来事が起こって、それを捨て去るタイミングがやって来るのでしょう。
ただ、最近起こったショックな出来事のおかげで、余計な考え方や価値観からは自由になり、本当に大切にしたいものが見えて来ました。
それは、家族だったり仕事だったりするのですが、その影響で妻や子どもに対して素直に接することができるようになりました。
今までも妻と子どものことは大好きでしたが、その存在をより愛おしく感じられるようになり、一緒に過ごせる時間がとてもとても大切になったのです。
そんな感覚になったことで、妻に「最近 優しくなったね」と言ってもらえたのだと思います。
最後に(捨て去れば豊かになる)
……という感じで、自分の情けない経験も交えつつ、ショックな出来事への向き合い方やそこから自分の心を軽くする流れについて書かせていただきました。
あくまでも個人的な体験で、誰しもに当てはまるわけではないと思いますが、あなたが何かショックな出来事に直面したときのお役に立てれば幸いです。
また、「人に優しくなりたい」「素直になりたい」と思いつつ、なかなかそうなれない場合にもご参考になるのではないかと思います。
自分からショックな出来事を引き起こす必要はないですが、何らかのきっかけで自分がダメダメだと気づいたり、大切なプライドや価値観を捨て去ることができれば、その先にはより豊かな未来が待っていると、僕は思います。
- マイナスの出来事には、その分だけプラスの要素がある
- 何かを捨て去ることができれば、それだけ手に入るものもある
よく言われることではありますが、これを心に留めておくと、人生を上手く渡っていけるかもしれません(^-^)