2017年、娘が『プリキュア』にハマり始めた。
娘の年齢は、3歳と1ヶ月。
1歳を過ぎたあたりからNHK教育の『ワンワン』にハマり、次は『アンパンマン』と来て、順当なステップを踏んでいる。
だが、娘と一緒に『プリキュア』を見て、僕は驚いた。
「え? これがプリキュアなの?!」
そこには、僕の知っているプリキュアはいなかったからだ。
現在、僕は36歳。大学時代は声優を目指していたこともあり、ちょっぴりアニメが大好きだ。
大学を卒業したころ放送されていた“初代プリキュア”のことも、やっぱりちょっぴり知っている。
だが、その“初代プリキュア”と現在のプリキュアは、あまりにも世界観がかけ離れている。
「なぜこんなことになったんだ!?!?」
「この十数年の間に、一体何があった!?」
そんなわけで、今日の記事では、プリキュアを通して時代の変化を見るということに挑戦したい。
これを読めば、世の大人たち(特にお父さんお母さんたち)が、プリキュアを楽しめるようになること請け合いである。
ではまず、「プリキュアとは一体何なのか?」から見ていこう。
プリキュアの源流を知る
初代プリキュアとは?
プリキュアとは、2004年から2005年にかけて放送された『ふたりはプリキュア』を元祖とする、少女向けの変身&バトルアニメである。
この『ふたりはプリキュア』は「初代プリキュア」とも呼ばれ、伝説のような存在になっている。
それまでの少女アニメの常識を覆すものだったからだ。
変身して戦うアニメは以前にもあった。『美少女戦士セーラームーン』はその典型で(今考えると「美少女」っていうネーミングどうなの?!)、普通の少女が不思議な力で変身し戦うという作品は珍しくなかった。
だが、この初代プリキュアは、一線を画していた。
作品内で描かれる戦闘シーンが、めっちゃ激しかったからだ。
初代プリキュアの売りは肉弾戦
たしかに『セーラームーン』でも敵との戦闘シーンは描かれていた。
だが、どちらかというと、魔法というか不思議な力というか遠隔での攻撃が多く、殴ったり蹴ったりといったシーンは少なかった。
しかし、初代プリキュアは、バリバリの肉弾戦。
それはもう、殴ったり蹴ったり吹っ飛ばしたりのオンパレードだったのである。
それもそのはず。初代のプリキュアのコンセプトは
「女の子だって暴れたい」
Wikipedia「ふたりはプリキュア」から引用
だったであった。
Wikipediaにはこんな風にも書かれている。
本作品での戦闘描写にはいわゆる魔法のステッキから出る光線などではなく、男児向けのヒーロー物に見られるような徒手格闘による肉弾戦を展開する手法が用いられており、シリーズディレクターも『ドラゴンボール』等でダイナミックな格闘描写で実績のある西尾大介が起用された。
Wikipedia「ふたりはプリキュア」から引用
つまり、少年バトルアニメの要素が大量に注ぎ込まれた作品だったのだ。
極端な表現をすれば、初代プリキュアは暴力的だったと言える。
でも、これは少し極端すぎるので、初代プリキュアは男性性の強い少女アニメだったと、ここではしておこう。
コスチュームに現れた合理性
また、登場人物たちのコスチュームが白と黒をベースにしているのも珍しかった。
『セーラームーン』を見ればわかるように、変身後のコスチュームといえば、黄色や赤、青、緑といったようにカラフルなもの。その方が、オシャレを好む少女たちにはウケるはずだ。
だが、初代プリキュアでは、白と黒というめちゃくちゃシンプルな色使いとなった。
たしかに、「敵を倒す」という視点で見れば、コスチュームの華やかさは無駄である。
あくまで個人的な見方だが、初代プリキュアは見た目の華やかさを廃し、シンプルさや合理性が貫かれた作品だと言えるだろう。
時代の流れに合致した?!
以上のように
- 肉弾戦など男性性の強い描写
- 白と黒だけのシンプルで合理的な世界観
が、初代プリキュアの大きな特徴であった。
そして、この二つが当時は画期的であり、かつ時代の流れにも合致したのか、初代プリキュアは大きなヒットを遂げることになる。
そこが源流となり、その後、10年以上に渡ってプリキュアシリーズが展開していくのである。
2017年のプリキュアは初代と真逆!
しかし、13年が経過した今年(2017年)、再びプリキュアに出会った僕は衝撃を受けた
なぜなら、初代プリキュアにあった特徴が、全く捨て去られていたからだ。
2017年プリキュアの正式名は『キラキラ☆プリキュアアラモード』。
「ん? あのプリキュアが“キラキラ”? どゆこと?」
「それに“アラモード”って何? なんでそんなカラフルになってんの?」
そんな疑問を抱きながら、実際にテレビを見てみたら、、、
なんじゃ、こりゃぁぁああああーーーーーーーーーー!?!?!?
初代プリキュアの特徴はどこへやら、まさにキラキラ&カラフルな世界が広がっていた。
- コスチュームが色とりどり
- なぜか目がやたらデカイ
- 変身や決めポーズの度に「キラッ!」という効果音が入る
- 背景までキラキラ
し・か・も、
- 肉弾戦がほとんどない!
- 必殺技も敵を包み込んで浄化する方式
- 全ての変身や技がスイーツ(お菓子)に関係している
- てゆーか、スイーツと戦闘がなぜに結びつく?!
という初代プリキュアの面影すらない作品になっていたのである。
先ほど「初代プリキュアは男性性の強い作品」と言ったが、今年の『プリキュアアラモード』は女性性に振り切った作品だと言えよう。
それはもうなんかもう、やたらキラキラしていて、「超・女の子ちっく!!」な表現ばかりなのだ。
「一体プリキュアに何があった!?!?」と僕は愕然とした。
恥ずかしながら、初代プリキュアのあと、2017年に至るまでのプリキュアシリーズは見ていない。その経過を追っていれば、この変化の理由はわかったのかもしれない。
けれど、
- 初代プリキュアはモノクロで肉弾戦で男性的
- プリキュアアラモードはカラフルでキラキラで超・女性的
というこのギャップは、僕にとってかなりの衝撃をもたらしたのである。
いや。批判しているのではない。僕はプリキュアアラモードを批判したいのでは決してない。
むしろ娘はとっても楽しんでいるし、先日は“ばぁばちゃん”(=妻のお母さん)に変身グッズを買ってもらって超ごきげん♪ 僕も娘と一緒に楽しみたいと、エンディングテーマのダンスを練習する日々である。
そんなこんなで、個人的にもプリキュアアラモードは大好きなのだが、初代プリキュアとの間にどうしてこんなにもギャップが起こったのか? それが気になって仕方がない。
そこで、初代プリキュア(2004年)からプリキュアアラモード(2017年)に至った背景には何があったのか? 考察したいと思う。
強くあらねばならなかった2004年
初代プリキュアの時代背景
少し時代をさかのぼって、初代プリキュアが放送された2004年とはどんな年だったのかを調べてみる。
すると出てきたのが、
- 自衛隊のイラク派遣
(前年にイラク戦争開始) - イラクでの日本人の人質事件
→自己責任論が高まる - オレオレ詐欺の多発
- 栃木にて5億円強奪事件
(現金強奪で過去最高の被害額)
といった出来事。
- アテネオリンピック
(北島康介選手が金メダルで「チョー気持ちいい」) - 宮崎駿監督の『ハウルの動く城』公開
などのポジティブなニュースもありながら、生活を脅かすような出来事だったり、自らを守らなければならない風潮が高まる年だったと言える。
特に、前年の2003年にイラク戦争が勃発していたこともあり、世界的に見ても攻撃的で緊張した空気が渦巻いていたと考えられる。
つまり、2004年は「強くあらねばならない時代」だったのだ。
「自己責任論の高まり」にあるように、不穏な情勢の中では誰も守ってくれず、最終的には自分で自分を守るしかないという考えが広まっていたと考えられる。
その時代の流れに、初代プリキュアはぴったりハマったのではないだろうか。
それまで、どちらかというとキラキラフワフワして、魔法で戦うという幻想的な少女アニメが主流だったところを、徒手空拳で戦うというパワフルで現実的な世界観を打ち出したため、「女の子でも戦う!」「強くなりたい!」という隠れたニーズに応えたのだろう。
サブプライムローンと“強さ”
さらに、経済的な側面においても、この時代は強さや拡大・成長を求められた時代だった。
2001年から2006年はアメリカにおいて住宅価格の上昇が続いており、それに付随してサブプライムローンが広がっていた時期でもある。
後から振り返れば2008年のリーマンショックにつながり、否定されるべき状況だったが、当時はどんどん経済が成長しているように感じられたはずだ。
しかも、それは「他者を犠牲にしてでものし上がればいい」というほどの激しい成長意欲であり、バブル的な金融の拡大が起こっていたとも言える。
つまり、世界情勢において、物理的には戦争、経済的には金融バブルが起こっており、「戦わなければ生き残れない」という時代だったのだ。
(実は、「戦わなければ生き残れない」というのは、2002年〜2003年に放映された『仮面ライダー龍騎』のキャッチコピーである。そこから一年後の2004年、同時間帯で初代プリキュアが放送された)
そんな“強さ”を求められた時代であったために、男性的な世界観を持つ初代プリキュアは大いにヒットしたと考えられるのである。
強さだけではダメと気づいた2017年
“強さ”が否定される時代へ
しかし、時代を経て、そういった“強さ”(男性性)は否定されることになる。
代表的なのは、先ほども触れたリーマンショックである。
2007年のサブプライムローン危機を発端として資産の下落が続き、2008年にはアメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻した。そして、そこから世界的な金融危機へと発展する。
それまでの成長・拡大が、一気に衰退へと転じたのだ。
また、2003年に始まったイラク戦争も、一定の決着を見ていたものの、現地での戦闘がズルズルと続いた。しかも、戦争開始の大義とされた「大量破壊兵器」が見つからないということも、大きな問題とされた。
つまり、“強さ”の象徴とでもいうべき戦争を、多くの人が否定的に捉え始めたのである。
こういった時代の流れによって、初代プリキュアの2004年時点で求められていた“強さ”が、2010年ごろにかけては否定されたと言えるのだ。
- 強さだけでは人は幸せになれない
- 強さだけでは世界は平和にならない
そんな想いが、人々の心に芽生えていったのではないだろうか?
正直、この時期のプリキュアがどんなものだったのかを知らないので、作品の変遷を見てみたーーーい!と思ってます(^^;;
日本における閉塞感
さらに、日本においては2012年ごろから、アベノミクスと呼ばれる経済政策が開始。
なんとか日本の情勢を立て直そうとする動きが起こるが、大きな打開策とはなっていない。
「経済成長は進んでいる」という報道はあるにしても、多くの人々にとって生活が改善された実感はなく、むしろ閉塞感が漂う状況へ向かっていったのが、2010年以降の流れなのではないだろうか。
たしかに、強さや合理性を求め、成長・拡大を目指したのだろうが、それでは人々は幸せにはならず、モノクロで彩のない空気感が社会を包んでいる。
モノクロ……すなわち初代プリキュアのコンセプトカラーであった「白と黒」は、今は否定されてしまった。
それは閉塞感の象徴であり、今の時代はそこからの脱却が求められているのである。
“甘さ”と“癒し”を求める時代?
そういった流れを見れば、2017年において『キラキラ☆プリキュアアラモード』が登場したのは自然だと言える。
- 社会の閉塞感を打破したい!
- 彩のある生活を取り戻したい!
- 強さだけを求めるのはウンザリだ!
そんな社会の声を体現するため、
- コスチュームをカラフルにしたり
- 主人公がやたら元気だったり
- でも、「敵を倒す」ではなく「包み込んで浄化する」
という世界観が構築されているのだろう。
そして、それを効果的に表現するため、スイーツ(お菓子)をモチーフにした変身や必殺技が登場している。いわば、
- “強さ”で倒す(=相手を否定する)ではない
- 相手を甘さで癒す(=優しく受けとめて肯定する)
という戦闘スタイルなのだ。
2000年以降、人々は“強さ”を持つことを強いられ、だが、その“強さ”のために失敗し、疲れ切ってしまった……。
そして現在、この時代に必要とされるのは“甘さ”と“癒し”。
それを今の『プリキュアアラモード』は示しているように思う。
希望の現れと見るか?現実逃避と見るか?
だが、これを「良いこと」と考えるのは早計だろう。
たしかに“甘さ”と“癒し”が必要な時代ではあるが、そこに安住してしまっては進展がない。
折しも、世界情勢においては戦争の火種が各地でくすぶり、いつ何が起こってもおかしくない状況である。そんな中では、甘さ(優しさ)と癒しだけでは乗り切っていけないはずだ。
また、世界のことは一旦置いておいて、日常生活に目を向けるにしても、“甘さ”と“癒し”だけでは生きていけない。
目の前の問題から目を逸らしては状況は改善せず、むしろ悪化するばかり。ある程度“癒し”を得ることができたなら、“強さ”を持って次に進むことが不可欠だ。
うがった見方をすれば、『プリキュアアラモード』は“現実逃避”とも捉えることができる。
多くの大人たちが、社会の厳しい状況から目をそらし、夢の世界に一緒に行ってしまいたい……そんなニーズに応えているとも見られなくはない。
だから、“甘さ”と“癒し”の世界観に引っ張られると、大人も子どももキラキラフワフワとした幻想の世界に生きてしまい、現実を変える力(=強さ)が失われてしまう。そこには注意を払うべきだろう。
次の時代へ向かうための“ひと休み”
とはいえ、今の時代が『プリキュアアラモード』の世界観を求めていることは確かであろう。
2000年以降の激しい変化で疲れ切った人々が、“癒し”を求めていることが感じられる。
しかも、昨年のアメリカ大統領の交代を初めとして、世界情勢の変化は止まらない。
他にも、AI(人工知能)の発達、暗号通貨(仮想通貨)の普及など、技術的な革新がどんどん起こっている。
今後も、時代の変化はさらに加速する可能性が高いのだ。
そんな時節において、
- ちょっとだけでも甘えたい
- ちょっとだけでも癒されたい
そんな社会全体の見えない欲求が、『プリキュアアラモード』として具現化したように感じている。
そう。人々は少し休みたいのだ。
次の更なる変化に備えるため、“ひと休み”したいのだ。
今のタイミングで、プリキュアが女性性に振り切ったのは、次の時代へ向かうための休息であるようにも思う。
であるならば、この流れに身を任せて、“甘さ”と“癒し”を味わってみるのも悪くない。
少なくとも、週に一回プリキュアが放送されるときだけは、キラキラフワフワした世界観に酔いしれてみるのも一興だ。
プリキュアは時代を映す。
次の時代へ向かうためにこそ、『プリキュアアラモード』は“甘さ”と“癒し”を与えてくれる。
子どもたちの隣で、大人もそんな風にプリキュアを楽しむことができるのではないだろうか。
少なくとも僕は、今日もエンディングダンスの練習に励んでいる。

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(「農マド」と言いながら、農業やネット関係の記事は少なめです(^^;;)
あなたの人生にとってお役に立てる内容があるかもしれませんので、よかったらご覧ください。