ダラダラしています。
今月は色々と忙しかったですが、おかげさまで落ち着いて、いま絶賛ダラダラしています。
でも、この“ダラダラ”って大事だなー、と思うのです。
「大変ですね」と言われるのですが
ブログをご覧いただき、ありがとうございますm(_ _)m 「農マドワーカー」のいずばやしです。
大阪の郊外で自然農法の田んぼをしながら、インターネット関連の仕事をしています。
「農業とITの両方をやってます」と言うと、「すごいですね! 大変じゃないですか?」と驚かれたりします。
特に「無農薬の田んぼ」と言うと、「大変」「しんどい」「ツラい」という印象があるようです。
ですが……すみませんm(_ _)m そんなに大変じゃないです。その第一印象とは裏腹に結構ダラダラしています。
だから、「大変ですね!」と言われたときは「いえ。そこまで大変じゃないです」とお伝えしています。
けれど、そうやってお話ししても、“謙遜”と受け取られてしまうらしく、
「いえいえ。そんな風におっしゃいますけど、やっぱり大変ですよ!」
「自然を大切にして頑張られてるの、すごいです!!」
とおっしゃっていただきます。
無農薬の田んぼでもダラダラできる理由は、詳しくお話しするとめっちゃ長くなってしまいます。ですが、一言で言ってしまうと「田んぼの生き物のおかげ」です。田んぼの中に多様な生き物がいるようになったおかげで、以前までの重労働がほぼ無くなったのです!
実はダラダラしています
ですが、先ほどお伝えしたように、ダラダラする時はかなりダラダラしています( ̄▽ ̄;;
それに、「大変ですね」と言われるたびに、ちょっとした違和感も感じます……。
いえ。もちろん「頑張ってますね」「大変ですね」と言っていただけるのは嬉しいのです。そのお気持ちは本当に有難いのです。
ですが、なんか……その、
「頑張ってることや大変なことをしてるのが素晴らしい」的な考え方ってどうなの?
と思ってしまうのです。
これって、日本に染みついている考えなのかもしれません。
- 頑張ることは素晴らしい
- 大変なことを想いをするのは良いことだ
- 何かを成し遂げるためには、無理することが必須だ
みたいな。
けど、これって本当なんですかね?
頑張ることは本当に素晴らしいのか?
ちょうど先日、友人のブログを見て気づいたことがありました。
「苦労好き、頑張るの好き」
というのは僕も同じくです( ̄∇ ̄;;なので、記事内にあるとおり、その“設定”どおりの現実がやってくる。
これはもう、ホント面白いくらい♪
でも、そこから成長したいから“設定”を絶賛書き換え中です☆https://t.co/9CXBJObMUR@KanadeKouta さんより
— ばや@農マドワーカー (@shbayashi) 2018年6月25日
こちらの記事にあるように、
- 「苦労するのが好き」
- 「頑張っている自分が好き」
という状態は、よくあることだと思います。
というか、自分自身がそうですし、ブログ主のこうたさん(@KanadeKouta)もそうですし、こうたさんのツイッターやFacebookには共感の声も寄せられていました。
つまり、やはり「頑張るのが好き!」「苦労は美徳!」という考えている人は多いようなのです。
頑張らない方がお客様にとって良いのでは?
けど、冷静に考えると、これっておかしいんですよね。
例えば、何らかの商売(事業)をしている人がいて、その人がめちゃくちゃ苦労して、その商品を作ったり売ったりしていたりしたら、どうでしょうか?
その商品に「頑張った!」「めっちゃ苦労した!」という負のオーラがまとわりつくことになります。
それって、お客さんの立場としては、あまり買いたくないですよね?
むしろ、
- 「すごくポジティブな気持ちで作りました!」
- 「この商品が好きで好きで、他の人にもどうしても知ってもらいたくて売ってるんです!」
- 「この仕事をしているのが楽しくて楽しくて♪」
という状態の方が、買いに行きたくなりますし、「そんなに好きなものなら、自分も手にとってみたいな」となります。
つまり、仕事をする側がポジティブな状態のほうが、お客様にもメリットがあるわけです。
頑張りや苦労に意味はない
となると、「無理して頑張る」や「苦労すること」「大変な思いをすること」などには、あまり意味がないことがわかります。
もちろん、苦労することで良いものが作られることもあります。芸術家さんや発明家さんの中には、自分自身を追い込むことでアイディアが浮かぶこともあるそうですから。
(これは聞いた話ですが、発明家のドクター中松は、プールに潜って死にかけてから急浮上することで閃きを得るのだとか)
ですが、この場合の「自分を追い込む」「無理をする」というのは好きでやっていることです。その「無理」や「苦労」を楽しんでいる、と言ってもいいでしょう。
ですから、結局のところ大切なのは、「無理して頑張ること」や「苦労すること」ではなく、
自分自身が心地よい状態で楽しく取り組む
ということなのです。
調子が悪くなったらダラダラすべし!
ただ、どんなに楽しいことやどんなに好きなことをしていても、人間 落ち込むこともあります。
- どうしても作業を続けなければならない時とか
- 予想していなかったショックな出来事が起こったとか
- どうしても体調が優れない時とか
こんな風になったらどうすれば良いかと言うと・・・
「ダラダラする」
の一言に尽きます。
- とにかく体と心をゆるめる
- 無理していた肉体と精神を回復させる
- ましてや、その状態から更に無理をしようとしたりしない
ということです。
そうやって、とにかくダラダラして、ダラダラしきった後、
- 「よし! 次はこれをやりたい!」とか
- 「もう一回、これを頑張ろう!」とか
- 「自分はこれが好きだ!」とか
- 「やっぱりこれが大好きだーー!」とか
という気持ちが湧いてきて、改めてポジティブに活動をスタートすることができるのです。
「無理」や「苦労」は誰のためにもならない
ですので、「ずっと頑張る」とか「無理をする」とか「苦労し続ける」とかは、自分の事業(商売)や芸術活動などなどをしている場合は無意味なのです。
まあ、会社員をしていて決まった給料が入ることが約束されている環境なら別ですが、自分の責任で行っている活動の場合、「無理をしている」状態であればポジティブな商品・サービスは生み出せません。
となると、「無理をする」「苦労し続ける」状態は、その事業や活動を悪化させるしかないのです。
少なくとも、「頑張るのは素晴らしい」「苦労するの好き」というのは、活動をする側のエゴであって、お客様や受け取り手の視点から見れば、何の意味もありません。
日本には「苦労が美徳」「頑張ることは素晴らしい」みたいな価値観がありますが、そこから脱却することが、ある意味 成功への第一歩と言えるのです。
つまり、「ダラダラするの大事!」ということですね(^-^)
というか、いわゆる世の中で「成功している」と言われる人たちは、好きなことを夢中でやってるだけだったりするんですよね。その行動量や発想(考え方)が常人離れしているので、「めっちゃ苦労したはずだ!」とか「めちゃくちゃ大変そうだった!」と言われたりしますが、ご本人の話を聞くと、
- 単に好きなことをしていた
- 目の前にあることを楽しんでいた
- 夢中でやっていたら、いつの間にか成功していた
という場合が多いのです。
意識的にダラダラしています!
といっても、先ほどのツイートのように、僕の中にも「苦労するの好き」「頑張ることは素晴らしい」という考え方が根強くあります。
ですので、今日は意識的にダラダラしています。
いつもは朝早く起きて1時間ほどで書いているブログも、ダラダラと2時間以上かけて書いています。
こうやってとことんダラダラして、心と体をゆるめた上で、次の動きを取っていきたいと思っています。
今のところ、この後は精米作業と畑の草刈りができたらなー、とユルッと考えています。
(あ。でも、こんな風に動くから「頑張ってますね!」「大変ですね!」と言われるのだろうか? 自分では全然がんばってないのにーーーー)
まとめ
というわけで、今日のポイントをまとめます!
- 日本には「頑張るのは良いこと」「苦労は素晴らしい」といった考え方が根付いている
- でも、「頑張り」や「苦労」で生み出された作品やアイディア、商品・サービスには、負のオーラがまとわりつく
- ゆえに、「頑張り」や「苦労」による仕事や活動は、実は受け取り手(お客様)のためになっていない
(むしろ、提供する側のエゴに過ぎない) - 大切なのは、心地よく楽しくポジティブな状態で取り組むこと
- でも、どうしても疲れたり落ち込むこともあるから、そういった時はきちんと休む
- だから、ダラダラすることは重要!!
(ダラダラして心と体を回復させることで、再びポジティブに活動できる)
となります。
個人的な体験と感覚に基づくものですし、僕自身もまだまだ実践できていないですが、少しでもご参考になれば幸いです(^-^)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!!