- 人生には「やらなければならないこと」なんかない
- 「〜べき」や「〜ねば」を手放そう!
といった意見をよく見るようになりました。
逆に言うと、自分の「やりたいこと」や「好きなこと」を優先して生きよう! ということですね。
あたかも時代の流行とでもいうように、インターネットを見ていると、こんな発信を沢山見ます。
僕自身も、そうやって生きることに賛成ですし、自分自身も“やりたいこと”や“好きなこと”を優先して取り組んできました。
ですが、心の片隅に違和感がありました。
- 本当に「やりたいこと」や「好きなこと」だけで生きていいのだろうか?
- 本当は、人生には「やるべきこと」や「やらねばならないこと」があるのではないか?
という風に。
それに、尊敬する方々のお話を聞いていると、「人生にはやらなければならないことがある」「それをまず優先すべきだ」と言われます。
だから、“やりたいこと”や“好き”だけで生きることに疑問があったのです。
ですが、昨日ふとしたきっかけで、その疑問が一気に解消しました。
だから今はハッキリと言えます。人生には「やらなければならないこと」がある!と。
ただ、ここで非常に重要なポイントがあります。
その「やらなければならないこと」を
- 『義務』と捉えるか?
- 『使命』と捉えるか?
で全く意味が変わるということです。
『義務』を抱えてきた人生
ブログを訪れていただき、ありがとうございます! 「農マドワーカー」の泉林です(^^) 大阪の郊外で無農薬のお米づくりをしながら、インターネット関連の仕事をさせていただいています。
ただ、表向きの自己紹介はそうなのですが、もう少し突っ込んだことをお話しすると、「400年代々続く旧家の跡取り」です。
そんな事情なので、昔から「自分が家のために果たせることは?」とか「地域における自分の役割は?」とか「生まれてきた意味は?」みたいなことを、ずっと考えていました(^^;
わかりやすく言うと、
- 自分は家を継いで生きねばならない
- 自分はこんな風にあらねばならない
- 自分はこんな生活や働き方をするべきだ
といったように、「〜ねば」や「〜べき」にガンガン縛られて生きてきたのです。
いわば、たくさん『義務』を抱えながら進んできた人生なのです。
ですが、大人になってから色々な出会いや学びがあったり、時代の変化もあって、
「こんな縛られた人生はイヤだ!」
と自分の“好きなこと”や“やりたいこと”にも取り組んで来ました。
今の時代によくいわれる「『〜ねば』や『〜べき』を手放そう!」という方向へ舵を切ったのです。
好きなことを仕事にしてみたら
おかげさまで、「大成功!」とまでは言えなくても、今の僕は“好きなこと”や“やりたいこと”をしながら生活させていただいています。
僕はインターネットで表現することが大好きなのですが、その経験や能力を活かして、他の方のインターネット活用をお手伝いさせていただいているのです。
ただ、そうやって“好きなこと”を仕事にした結果、色々と見えてくるものがありました。
こんな風に、ブログにもいくつか記事を書いたですが、
- “好きなこと”で生きるって、ある意味、大きな覚悟が必要だよね?
- 自分の“好き”や“やりたい”だけではなく、誰かに貢献する視点が大切だよね?
ということに気づいたのです。
そして、もっと言うと、「人生にはやっぱり“やらなければならないこと”があるのではないか?」という疑問も湧いて来たのです。
『義務』ではなく『使命』を持って生きる
こうやって見てみると、僕の感覚は逆戻りしたように見えます。
以前の「〜ねば」「〜べき」と義務を抱えていた頃と同じ考え方ですから。
ですが、これは全然違うのです。
むしろ、過去の義務感とはかけ離れたところに今の僕は立っているのです。
それを気づかせてくれたのは、あるメールマガジンでした。
以前お仕事でご一緒したコーチングのプロが、メルマガの中でこんな話をされていたんです。
「義務感」を
「使命感」に変える
と思ってみるのは
どうでしょうか?
この「使命感」という言葉を見たときに、自分の中でモヤモヤしていたことが一気に晴れました。
「そうか! 『義務感』だと後ろ向きだけど、『使命感』だと前向きになる!」
「『使命感』による『〜しなければならない』は、むしろ人生に必要なことじゃないか!」
……という風に。
『義務』と『使命』の違いとは?
『義務』と『使命』との違いは何か? 一言で言うと、「受動的か?能動的か?」ということです。
- 義務→単に受け身で自分の意思はなく、イヤイヤ受け入れている
- 使命→能動的かつ主体的に受け入れ、進んで取り組んでいる
整理すると、こんな感じになります。
ただ、共通しているのは、どちらも「目の前にあることを受け入れている」ということです。
『使命』と言うと何か大きなことのように聞こえますが、そうではありません。
今やっている仕事での“使命”、家庭の中での“使命”というように、身近なところや今触れられる事柄の中にも使命はあります。
だから、物事の大小ではないのです。
姿勢や意思が違いを生む
ですが、そこに対する姿勢や意思によって、大きく異なります。
『義務』になる場合
ある会社に勤めていて、そこでの仕事を「自分の生活のために仕方なく……」取り組んでいると、そこには前向きな姿勢はないので、『義務』になります。
“イヤイヤ”なので、自分自身は不幸で苦しくなってしまいます。
そうなると、仕事のクオリティも下がり、周囲にとっても悪影響が出るでしょう。
『使命』になる場合
ですが一方で、同じ会社・同じ役職・同じ業務内容だったとしても、
- 同僚やお客様のために頑張ろう!
- 自分なりに精一杯工夫して取り組もう!
- 「これはあなたにしかできない」と言われるようなことをしよう!
という姿勢・意思で取り組めば、それは『使命』になります。
これは自分なりに工夫をしたり前向きな気持で取り組んでいるので、自分自身で喜びや幸せが湧いて来ます。
それに、仕事のクオリティも上がるので、周りの人にも喜ばれます。
こんな風に、客観的には同じことをしていたとしても、姿勢や意思が違うだけで大きな違いを生むことになるのです。
“役割意識”が鍵を握る
『使命』とは、いわば「役割意識を持っている」ということです。
- どうして自分でなければならないのか?
- 自分が行動することで、どんな人の役に立てるのか?
- その結果、どんな影響が広がっていくのか?
といった広い視点で、物事を見ることになります。
『義務』は自分だけ、『使命』は他人との関係性
『義務』だと自分一人にだけに視点が向いていて、一方的に押し付けられた感覚がしてしまいます。
ですが、『使命』は他人との関係性の中で自分を見つめ、その上で“やるべきこと”を見つけるのです。
ですから、『使命』とは
- 自分が行動することで、喜んでくれる人がいる!
- 自分の頑張りが仲間や会社のためになる!
- 果ては、社会全体のためになる!
という風に、所属している組織やチーム、あるいは社会や世界全体という大きな視点から自分自身の立ち位置を見極め、行動を起こすことなのです。
全体性を踏まえた上での“目の前のこと”
ただし、先ほども言ったように、「目の前のことに取り組む」というのは変わりません。
ですが、『義務』だと自分個人の視点からの“目の前のこと”ですが、『使命』だと全体性を踏まえた上での“目の前のこと”になります。
こうなると、同じ“目の前のこと”であっても、意味合いや捉え方が大きく変わり、取り組み方も変わってくるのです。
「やりたい」と「やらねば」が一体化する
ただ、こうやって見てくると、
「じゃあ、“好きなこと”や“やりたいこと”をしてはいけないってこと?」
「いくら『使命』と言ったって、“やらなければならないこと”と考えるとツライのでは?」
という疑問が湧いてくるかもしれません。
ですが、そうではありません。
『使命』の中には「好きなこと」や「やりたいこと」が含まれるからです。
というか、先ほどの定義の中にも、使命とは「能動的かつ主体的」と書かせていただきました。
そう。『使命』とは、あくまでも自分の意思で選択して、「やりたい」から取り組むものなのです。
つまり、一言にまとめると、『使命』とは「やりたいこと」と「やらなければならないこと」が一体化したものということなのです。
『使命』を見つけるまでの流れ
ここで、僕自身の今までを振り返ってみると……
- 「家のため」「社会のため」に嫌なことを我慢して生きなければならない
(→『義務』で生きていた過去) - 自分の「好きなこと」や「やりたいこと」を優先して生きる!
(→『義務』から脱却して、自分ひとりの意思を大事にする現在) - 「好きなこと」や「やりたいこと」だけではなくて、他の人に役立つ生き方がしたい!
過去にはイヤだった自分の境遇までもを活かし、社会全体のために働きたい!!
(→「やりたいこと」と「しなければならないこと」が一体化。『使命』が芽生え始めている)
という流れになっています。
これが全ての人に当てはまるとは限りませんが(というか、多分ひとりひとり違うと思います)、こうやってステップを踏むことで『使命』に近づいていくものだと思うのです。
そしてそれは、「やりたいこと」と「やらねばならないこと」が一体化した生き方。
だから僕は、「人生には、(自分で主体的に選んだ)“やらなければならないこと”が必要!!」だと考えるのです。
これからの時代の流れは?
西暦2000年以降は、「個人が活躍する時代になった」と言われます。
そうして、“好きなこと”や“やりたいこと”を優先して生きる人が増えました。
ですが一方で、「品性が失われた」「本来あった役割意識がなくなった」「社会貢献しない生き方は良くない」といった声もよく聞くようになりました。
ただ、こうやって見ていくと、今の「個人を優先する」という時代の流れは、あくまでも一過性のものだと思うのです。
たとえ一時的には、自分の欲を優先して生きる人が増えて、社会秩序が乱れたとしても、いずれは『使命』に目覚める人が増え、全体性のバランスが取れていくのではないでしょうか。
『使命』に目覚める若者たち
その証拠に、今の10代〜20代の人たちとネット上でか関わらせていただいていると、「誰かのため」や「社会に貢献したい」という意欲を持った方が多いように感じます。
おそらく、いったん“個人”に振り切った時代の流れが、再び“社会貢献”や“全体の調和”へと揺り戻って来ているのです。
僕も『使命』で生きたい!
とはいえ、僕自身はまだまだ『使命』で生きることはできていないですし、これから葛藤や試行錯誤を繰り返しながら、そこへ向かっていくのだと思います。
ですが、「やりたいこと」や「好きなこと」だけで生きる自分ではいたくないなぁ、とは思います。
だって、それだけだとカッコ悪いので。
それよりも、自分の「やりたいこと」や「好きなこと」を、「誰かのため」「社会のため」という視点を持って取り組む『使命』の形に昇華させて生きるほうが、断然カッコイイと思います。
ここまでお読みくださったあなたがどう感じていらっしゃるかはわかりませんが、あなたのこの先の未来に少しでもご参考になれば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!