先日、娘の右目が開かなくなりました。
といっても、重大な病気ではなく、目ヤニがたくさん出て瞼(まぶた)が開かなくなっただけです。
なんかもう、まつ毛の辺りが乾いたカッピカピになっておりました。
で。妻が眼科へ連れて行ったら、疲れから来る結膜炎と診断され、目薬をもらって帰りました。
あれから数日、目薬のおかげで娘の結膜炎はスッカリ良くなりました。
ただ、その症状が出ている間、娘はグズグズと機嫌が悪かったです……。
- カピカピの目ヤニを拭こうとしてら嫌がるし
- 目薬をさそうとしたら激しく抵抗するし
- それどころか、目のことに関係なく不機嫌だし
という状態が続いたのです。
なので、こちらとしては……
「まぶたがカピカピになったくらいで、何やねん?!」
「何をそんなに嫌がっとるねん?!」
「てゆーか、目薬ささんと治らんやろ?!」
「そもそも、目ヤニくらい自力でこじ開けろや!」
「あまえんな!!!!」
となって、過ごしておりました。
そうやって数日が経過した、今朝・・・
僕の目が開かなくなりました。
はい……娘と同じように、目ヤニがたくさん出て、瞼(まぶた)が固まっております。
娘と違って、僕は左目に症状が出てしまっていますが、なんかもう、激しくカッピカピです。
「あれ? 本気で開かへん!」
と朝から焦っておりました。
目ヤニって、こんなにも強力な粘着力を持つのですね。
アロンアルファまではとは言いませんが、そこらの木工用ボンドくらいの威力はあるのではないかと思います。
マジ、自力では開かない……!
しかも、なんかもう目の周りが重たくて痛い。
濡らしたタオルとかで瞼(まぶた)の目ヤニを取ろうとするのですが、少し触れただけでも痛い。
「イタっ!」という感じではないですが、なんかこう重たい感じで太い針が刺してくるような、気持ち悪い痛みです。
だから、このカピカピは取りたいけれど、瞼を触りたくないので、何ともしがたい……。
それゆえに、めっちゃイライラする。機嫌が悪くなる。という事態が起きております。
これはもう、目薬をさすのもイヤになりますね。きっとめっちゃ染みそうだし……。
はい……。ここ数日は、目ヤニがカピカピの娘に対して、散々ヒドイことを思ってしまっていたのですが、実際に自分がその立場になってみると、彼女の気持ちがすごくわかります。
「目ヤニのカピカピって、こんなに動かないんだね……」
「自力じゃ、まぶた全然開けないね……」
「こんなんじゃ、目薬さすどころじゃないね……」
「目の周りが重たくて痛いから、色々イヤになるね……」
「てゆーか、カラダ全体がダルいね……」
という感じで、先ほどとは真逆の感覚が芽生えているのです。
そんなこんなで、結膜炎になって苦しんでいた娘に、本当に申し訳ないなーと思っておりますm(_ _)m
ただ、今回のことで改めて学んだことがありました。それは、
相手の気持ちや感覚は、相手と同じ立場にならないとわからない
ということ。
今朝、症状を発するまでの僕は、不機嫌な娘に対して、「何やこんなことで!」と思っていました。
「これくらいの小さな病気で、そんな大げさに嫌がるなや」
と考えてしまっていたのです。
ですが、娘本人から見れば、「小さな病気」なんてことは全然なく、
- 目の周りは重たいし……
- 触ると痛いし……
- 思うように目は開かないし……
- カラダ全体がダルいし……
というように、色々と大変な想いをしていたわけです。
傍から見ていた僕は、その症状を勝手に軽視してしまって、彼女の本当の想いや感覚を汲み取ることができなかったんですよね……。
それに、これって目の病気に限らず、体調や健康のことに限らず、日々の生活の中でかなり起こってしまっています。
例えば、他の人を見ていて
「あの人はなんで、いつも不機嫌そうなのだろう?」
「なんで文句ばかり言うのだろう?」
と思ったとしてます。
これは裏を返すと、自分の視点から見れば、その「文句」は余り意味のないものだったり、「不機嫌」になっている理由がわからない、ということですよね。
ですが、その本人にとって見れば、文句を行っている対象がめちゃくちゃ重大なことだったり、実際に感じている不機嫌がとても大きなものかもしれません。
つまり、こちらが勝手に想像する想いや感覚は、その本人とはかけ離れている可能性が高い、ということなのです。
だから、傍から見ている自分が、その人に対してとやかく言ったり、自分の感覚や判断でとやかく言うのはお門違いとなります。
やってしまいがちですけどね……(^^;;
しかも、「よかれ」と思って、アドバイスや正論を振りかざしたりしてしまいます。
あるいは、何か目標に向かおうとしている人が、なぜかグズグズ行動を起こせない状況を見たりもします。
そんなときに、外からの視点だと「グズグズせずに、ちゃっちゃと行動しろや!」と思ってしまうのですが、それもこちらの勝手な判断。
当の本人にとっては、何か大きな問題や障害を抱えているのでしょう。
僕が娘の「目やにカピカピ」現象に対して、「目やにがカピカピしたくらい大したことない」と思ったのと同じように、他の人を見ていると、その状況が軽いように思ってしまうことがあります。
ですが、実際に「目やにカピカピ」になると、「え? こんなに動かないの?」「こんなにしんどいの?」と感じたように、その立場や状況にいないとわからないことがあるのです。
だから、他の人に対して
- なんでこんなことをするの?
- なんでこんな風にしないの?
と思ったとしても、それは本人にとっては大切な感じ方や行動の選択であり、こちらからとやかく言う必要はない、ということなのです。
そして、あくまでも他人であるこちらが解決できるものではなく、その本人が解決するしかない問題だったりもします。
娘の「目やにカピカピ」は、結局のところ僕や妻が治すものではなく、本人が治すものであるように、相手が抱えている問題は相手自身が解決するしかないのです。
そんなこんなで、ポイントを整理すると……
- 相手の立場や感覚は、その本人になってみないと本当にはわからない
- だから、こちらの勝手な判断や想像で、相手の行動や感覚を判断しない
- そして、相手の問題はあくまでも相手の問題であり、そこに干渉しない
- たとえ“手伝い”はできたとしても、問題の解決自体は本人にしかできない
となります。
娘と僕の「目やにカピカピ」から対人関係の話にまで膨らんでしまいましたが、何かしらご参考になれば幸いです。
そして、「目やにカピカピ」は結構ツライので、あなたがそうならないように心からお祈りしています!
日々を、元気に健やかにお過ごしくださいませ!!