「人の為(ため)」と書いて「偽(いつわり)」と読む。
という話を聞きました。
自分にとってはかなり衝撃でした。
なぜなら、僕自身は普段の生活の中で「誰かのため」を行動の基準にしていたからです。
いえ。「誰かのため」に動いているのに気づいたのも、つい昨日のことでした。
いま学んでいる講座があるのですが、その中で
今日1日を振り返って
- 自分がどんな行動を選択したか?
- そのときに、どんな基準で判断したか?
を書き出してみましょう
というワークがあったんです。
で。そのワークをやってみると、
「うわ! オレって、“自分のため”に全然動いてない!」
「“誰かのため”ばっかで行動を決めてる!」
ということに気づいたのでした。
例えばですが……
- 妻が仕事で忙しいだろうから、“妻のため”に晩ごはんを作ろう
- カレーを作るとき、冷蔵庫にニンジンが3本あって、全部使うと多いかと思ったけど、“子どもの栄養のため”に3本使おう
みたいな感じです。
果ては、
- Facebookのお友達の投稿に「超いいね」を付けようとしたのに、他に「超いいね」を押している人がおらず、普通の「いいね」と「ウケるね」だけだったので、“周りの人に合わせるため”に普通の「いいね」を押した
ということもありました。
“妻のため”と“子どものため”はまぁわかるにしても、“周りの人に合わせて「超いいね」をやめた”というのは、なんだか滑稽ですね(^^;;
自分自身の行動ではありますが、こうやって振り返って、
「そんな風に普段の行動を決めてたん?」
「どれだけ人の顔をうかがってんの?!」
という発見があったのです。
(あ。でも、自分を責めたりはしてません。「そうなのかー」「自分ってそういう奴だったのかー」と笑いながら、「じゃあ、今度からどうしようかな?」を考えてます(^-^))
んで、こんな風に「自分の行動基準は“人のため”という傾向がある」ということに気づき、講座の主催者さんにワークを提出させていただいたのでした。
すると、主催者さんからお返事があり、その中に
人の為と書いて偽と読む・・・ことからも
時々は自分を優先させてあげてください
というお言葉があったのです。
(ありがとうございます〜(*^^*))
読んで、めっちゃハッとしました。
「そうかー。“人のため”とは言うけど、偽り(いつわり)とか偽(ニセ)になっちゃうことってあるよなー」
……と。
そして、「偽」の語源をネットで検索してみると、またもやハッとする情報に出会いました。
「偽」の語源とは、まず「為」という漢字を紐解く必要があります。「為」とは 「手」と「象」から出来ています。人間が象を手なずける様子を表しています。 そこに人偏がつくと、人間が作為的に手を加え、本来の性質や姿を矯め直すと いう意味になるそうです。要するに人の作為で姿を変える、正体を隠して上辺を 取り繕うという意味から「いつわる」となったとされています。
この文章から、
「そうかー。“人のため”と言いながら、結局は“自分のため”を求めていることが多いかも……」
ということにも気づきました。
つまり、「為」という字が人間が象を手なずけるところから来ているように、“人のため”というのは、自分の思い通りにコントロールしようとすることでもあるわけです。
さらに、この文章には続きがあって……
ところで、私たちは日常生活の中で、よく「誰の為にしてあげたと思ってるの」 「あなたの為を思ってしてあげたのに」などの言葉を使ったり、聞いたりすると思います。しかし、突き詰めていけば、自らの尺度・基準の中で都合の良し悪しを判断し、行動に移しているのであって、その者の本来のあるべき姿に私達が手を加えている「偽り」とも言えるのではないでしょうか。
ということも書かれていました。
すごいです、光華女子学園さん!
たしかに、「あなたのために」と表面では言いながら、心の奥では
- 「オレに感謝しろよ!」
- 「今度はあなたがオレのために何かしろよ!」
という気持ちで、自分の価値観を押し付けることがあるなぁ……と。
あ。もちろん、“人のため”に何かをするのが悪いことだとは言いません。
「誰かのために頑張ろう!」という気持ちがあることで、たくさんの行動を起こせたり、自身の充実感につながることもあるので。
ただ、“人のため”と言いながら、その裏に“自分のため”という気持ちがあるのは違うかな……とは思います。
それは、本当は「自分のために行動したい!」という気持ちがありながら、それを隠して無理に動いているということですから。
言い換えると、本来は“自分のため”の行動なのに、表面だけ“人のため”というレッテルを貼っている、ということ。
そして、“相手のため”と言いながら、「相手を自分の思い通りに動かそう」となってしまうわけですね(^^;;
なので、ベストなのは、
- “自分のため”を十分満足させて
- “自分のため”なんかこれっぽっちも考えなくなった状態で
- 自然と湧き上がる「あの人のためにこれをしたい」という気持ちで
(ある意味、これも“自分のため”ではありますが) - その人のために、何の見返りを期待せずに行動すること
なのかなー、と思います。
ここまで行くと仙人の領域なので、すぐには難しそうですけど(^^;;
ただ、今回 僕は“人のため”に偏りがちな自分を発見したので、少し“自分のため”を意識してバランスを取っていきたいと思います☆
もしあなたが“誰かのため”で物事を判断していたり、人の顔色をうかがって普段の行動を起こしているとしたら、少しでもご参考になれば幸いです(^-^)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!!