- 「やらなければならないこと」には、ちゃんと向き合わないといけない
- 「やらなければいけないこと」って実は「本当にやりたいこと」なのかもしれない
ということを感じています。
「やらなければならないこと」を先延ばしにしていた
こんにちは! 「農マドワーカー」の泉林です。ブログを訪れていただき、ありがとうございます。
現在、今年収穫したお米を販売するための専用サイトを作っています。というか、今まで農業用サイトを作っていなかったので、事業紹介の意味も込めて急いで作成しています。
このブログのように日常の出来事を書き綴るサイトを作っていたのに、肝心のビジネス用サイトを作っていなかったわけです。
ある意味、自分にとって「やらなければならないこと」だったわけですが、ズルズルと引き伸ばしていたわけですね。
「やりたいこと」に足止めされた
自分にとって、この農業用のサイトは余りやりたいことではありませんでした。それよりも、思ったままを自由に書ける このブログのような形が好きだったわけです。
そもそも、何かを売ることが苦手だったりしますし……。
ですが、今回、その「やらなければならないこと(=余りやりたいくないこと)」には、やっぱりしっかり向き合わないといけないと感じています。
その理由は後で詳しくお話ししますが、自分の中での「やりたいこと」というのは、実は「やらなければならないこと」から目を背けるためのものかもしれない……とすら感じています。
つまり、今の自分の「やりたいこと」というのはフェイクであり、本当はもっと向き合うべきことある、ということですね。
「やりたいことをやろう!」への疑問
ここ数年の時代の傾向として、「やりたいことをやろう!」という流れになっていると思います。
科学技術が発達し、社会の仕組みが整備され、通信網も交通網も整い、多くの人々が肉体労働に囚われずに生きられるようになりました。人工知能(AI)の開発も進み、もはや頭脳労働も機械が肩代わりしてくれるような時代です。
そんな中にあって、
- 今まで頑張って働いていたことは、もう無くしてもいいんじゃない?
- 苦しい仕事は機械がやってくれるんだから、人間は好きなことだけしたらいいよね?
- そもそも、今ある経済の仕組みは戦後にできた古いものだから、そこから脱却するのが次なる進歩だ
- 「頑張って何かをする」「やりたくないことをする」というのは、もう時代遅れだ
という声が多くなって来ているわけです。
僕も、これには大賛成です。
苦しいばかりの仕事をする必要はないし、機械が代わりに働いてくれるなら任せる方がいいと思います。それに、現存する大企業中心の日本の仕組みは時代遅れだと感じるので、個人ひとりひとりが個性と能力を発揮して生きる社会になることを望みます。
が、果たして「やりたいこと」だけでいいのでしょうか?
「嫌なことをやれ」ではない
これは、「嫌なことをやれ!」と言っているわけではありません。
嫌で嫌でたまらないことや、苦しくて継続が難しいことなどは、やめればいいと思います。むしろ、そこから早く方向転換すべきだと思います! そして、自分の本当に「好きなこと」や「やりたいこと」に取り組む方が良いです!
けれど、「好きなこと」や「やりたいこと」ためには、「好きなこと」や「やりたいこと」をするだけではダメだと思うんです。
好きなこと「だけ」やりたいなら、それができる環境を自分で作れや。環境が作れないんなら、好きなこと「だけ」じゃなくて、好きじゃないこともやらなあかんよ。
— バーバラ・アスカ (@barbara_asuka) 2017年11月8日
こちらのツイートにもあるように、好きじゃないこともやる必要があると思うのです。
好きなことをするために「やらなければならないこと」がある
いえ。正確には「好きじゃないこと」をやる必要はないと思います。あくまでも、「好きなことをやるために必要となること」です。
ちょうど昨日、ふとこんなツイートをしました。
僕の“好きなこと”は他の人にとって“面倒くさいこと”らしい(WordPressの立ち上げとかカスタマイズとか)。
だから、仕事をさせていただける。『好きを仕事にする』というのは自分の“好き”を追求するだけではダメで、それを必要とする“他人”がいて初めて成立する。
— ばや@農マドワーカー (@shbayashi) 2017年11月19日
まだまだフォロワーさんも多くないですし、ツイッターも使いこなせていないですが、今までの自分の中では最高にリツイート(シェア)していただける結果となりました。
こちらにもあるように、「好きなこと」や「やりたいこと」をどんどんやっていくためには、そればかりに固執するのではなく、それを届けるための努力が必要なのです。そして、それは「好きなこと」や「やりたいこと」とは別のものだったりします。
- 自分の活動の魅力を、人に伝わる言葉にする
- 自分の「好きなこと」を受け取ってくれる“相手”を探す
- 相手が見つかったら、その人たちのニーズを汲み取る
- 自分のできる精一杯をして、その人たちに喜んでもらう
- そして、活動を継続するためにきちんとお金をいただく
などなど、どれも結構な努力が要ることです。
でも、そこから目を背ければ、「好きなこと」や「やりたいこと」は継続できなくなります。「好きなこと」や「やりたいこと」を続けるためにこそ、他の努力が必要となるのです。
「やりたいこと」が批判される覚悟を
そして、もし「好きなこと」や「やりたいこと」を仕事にするのであれば、「やりたいこと」や「好きなこと」が批判される覚悟も必要です。

↑こちらの記事にも書きましたが、「好きなこと」や「やりたいこと」を仕事にしたり、仕事にまでしなくても外へ広めていこうとすれば、必然的に他人からの否定的意見に晒されます。
それを受け入れることは、決して「やりたいこと」や「好きなこと」ではないでしょう。それでも、自分の「やりたいこと」を貫くためには、必要なことなのです。
ですから、「やりたいこと」をもっとやっていくためには、「やらねばならないこと」があるということなのです。
「やらなければならないこと」は実は「本当にやりたいこと」
正直言うと、その「やらなければならないこと」というのは怖いです。意味もなく不安を感じたりします。
今回も、僕はお米の販売のためのサイトを作っていますが、「これで本当に売れるだろうか?」「変なサイトに見られて、サイト作成の仕事まで減ったらどうしよう?」みたいな恐怖や不安が湧いています。
ぶっちゃけ、逃げ出したいくらいです。
けれど、逃げ出したいからこそ、そこに本当に向き合うべきだと思っています。
逃げ出したいくらい不安と恐怖を感じるということは、それだけ「それを実現したい」という想いが強い証拠なので、実は「やらなければならないこと」は「本当にやりたいこと」だったりするのです。
不安を感じる方へ進む
僕がお世話になっている方の言葉に「不安を感じる方向が正解」というものがあります。
何か将来の選択に迷ったとき、「どちらの方に不安や心地よさを感じるか?」を自分に問うのです。そして、その場合、「今の自分が心地よい」と感じる選択肢は実は不正解で、むしろ不安を感じる方が正解と言われます。
これはなぜかというと、「心地よい」と感じるのは現状の自分が満足したり安心したりする方向であって成長がありません。けれど、「不安を感じる」というのは、そこに乗り越えるべき壁があったり、今の自分から脱却する方向なので、自分の真の成長があるのです。
つまり、一言で言うと、不安を感じる方向が、実は本当に自分が向かいたい方向なのです。
「やらなければならないこと」に向き合うと力が湧く
実際、僕は不安を感じる方向へ進もうとしていて、「本当にお米が売れるのか?」と怖くて怖くてたまらない販売サイトを作っているわけです。
けれど、そこに向き合ってみると、不思議と力が湧いてきます。心も熱くなっています。
向き合う前は怖くて怖くて、目を背けたくなって、何もやりたくなくて、ダラダラしてしまうほどだったのですが、
「怖いけど頑張ろう!」
「ここは覚悟を決めて乗り越えよう!」
と実際に行動を起こしてみると、みるみるモチベーションが湧いてきたのです。
まだまだ不安や恐怖も残っていますが、行動もしっかり起こせる状態になっています。今朝も早くに目が覚めて、このブログを書き上げた後、作業に入ろうと思っていますし♪
「やらなければならないこと」は実は「本当にやりたいこと」なのだと、やはり思うのです。
目の前のことから逃げない
いかがでしたでしょうか?
「やらなければならないこと」について「やりたいこと」や「好きなこと」の比較からお話をしてきましたが、一言で言ってしまうと
目の前のことから逃げない
ということになるかと思います。
日常を生きていると、不安や恐怖を感じることが出てきますし、面倒くさくて向き合いたくないと思ったりします。人間、どうしても楽(らく)な方へ流れてしまいますし……。
けれど、そうではなく、目の前にある現実を見据え、不安や恐怖にきちんと向き合って行動することが、実は自分の本当にやりたいことだったり、自分が本当に進みたい未来への道だったりするのです。
……と、自分に言い聞かせながら、「やらねばならないこと」を頑張りたいと思います!!
あなたにも、少しでもお役に立てるところがあれば嬉しいです(^^) 最後までお読みいただき、ありがとうございました!