心配性です。
いつも何かを心配しています。
- このブログのデータが消えないか毎日心配だし
- 1日が始まると「今日も無事に過ごせるかな?」と心配です。
- 「病気やケガとかしないかな?」という不安はいつもあるし、
- 車で出かけるときは毎回「事故しないかな? 大丈夫かな?」と心配です。
- 妻が娘を連れて車で出かけるときも「事故しないかな?」と心配だし、
- 「いってらっしゃい」を言った後、「これが今生の別れかも」と毎回思います。
- あと、自分自身も「何かの拍子にいつ死ぬかもしれない」と心配です。
こんな風に「そこまで心配する必要あるの?!」と自分で突っ込みたくなるくらいですが、心のなかにいつも心配や不安があります。
だから、いつもツライです。
苦しいです。
ですが、その心配性の分だけ、とっても幸せを感じられるんです(*^-^*)
めちゃくちゃ心配性な人間です
ブログへのご来訪ありがとうございます! 「農マドワーカー」のいずばやしです。大阪の郊外で自然農法の田んぼをしながら、インターネット関連の仕事をしています。
インターネットの活動の一環として、このブログを毎日書いていますが、話題は農業やネットのことだけではなくて、生き方のことととか心のコントロールのこととかを書いています。
というか、そういう記事のほうが多くなってしまっております( ̄▽ ̄;;
今日も“心のコントロール”に関するお話をさせていただこうと思うのですが、どうして自分がこんなことを書けるかというと、僕がめちゃくちゃ心配性な人間だからです。
心配性を変えようとしたけど……
なんかもう、これはもう、子どもの頃からずっとなのですが、何かをする度に心配がつきまとっていました。
あ。でも、親からは「神経質」って言われてたかも……。
まあ、「心配性」でも「神経質」でもどっちでもよくて、ここで細かい言葉の定義には触れないのですが、
- とにかく気が弱いし
- めちゃくちゃ細かいことを気にするし
- 未来のことをアレコレ考えてしまうし
- しかもその考え(妄想)がネガティブな方向へ進むし
- 結果、行動を起こせないで終わってしまうし、
- 行動できたとしても、めっちゃドギマギしてしまう
という人生を歩んで参りました。
それゆえに、自分の性格を変えたくて、自己啓発の教材とかセッションとかに高額のお金をかけたのですが、

それはそれで、終わったことなので良いとして、結局、根本的なところでは変わっていなかったりします。
以前よりは前向きに楽しく生きられるようになりましたが、やっぱりどうしても心配がいつもつきまとうのです。
心配性って実は幸せ!
ですが、最近気づいたのは、「あ。心配性って実は幸せなことなんだ!」ということです。
「え? そんな馬鹿な!」と思われるかもしれません。だって、ずっと心配や不安が心のなかにあるって、ツライことですからね(^^;
ですが、これは裏を返すと、「無事だったときの喜びが大きい」ということです。
例えば、最初にお話しした僕の事例で言うと……
- ブログのデータが消えないか毎日心配。
→朝にブログを開いて「今日もブログがある!よかった!!」 - 1日ずっと「今日も無事に過ごせるかな?」と心配。
→眠りにつくとき「今日も無事に過ごせた!よかった!!」 - 車で出かけるとき「事故しないかな?」と心配。
→帰宅したとき「無事に帰れた!よかった!!」 - 妻が娘が車で出るとき心配。
→無事に帰ってきたとき「また会えた!本当によかった!!」 - 自分自身が「いつ死ぬかもしれない」と心配。
→「いま生きていられて本当によかった!感謝!!」
となります。
「そんな大袈裟な……」と思われるかもしれませんが、僕の心のなかでは本気で起こってることなんです。
だから、今日もこうしてブログを書けていることやご飯を食べられること、妻や娘、両親が生きてくれていることが、本当に本当に感謝なのです(*T0T*)
そして、そこに心から幸せを感じることが出来ます。
何気ない日常が本当に有り難い
言葉を変えると、
細かいことに心配や不安を感じてしまうから、何気ない日常がめちゃくちゃ有難くて嬉しい!!
と表現できます。
ホントもう、いま目の前にある平凡な日常がめちゃくちゃ大切な宝物だし、感謝の連続なのです。
よくブログとかSNSで、投稿の度に「感謝」を連発している人がいらっしゃいますが、あんな感じです。あれは大袈裟でもなんでもなくて、本当にそう感じているのだと思います(逆に、人によってはウケ狙いのケースもあるでしょうけど)。
だから、僕は毎日何回も感謝するし、何回も「有り難いなー」と思うし、何回も「あー。めっちゃ幸せだー」と感じるのです。
それもこれも、心配性なゆえです。
ネガティブの裏にはポジティブな側面がある
ですから、心配性って一見するとネガティブなのですが、実は非常にポジティブな面を持っているということですね。
もしかしたら、心配性じゃない人よりも喜びや幸福感を感じられる機会が多いのではないでしょうか?
もちろん、心配や不安が心を覆っているときはツライです。めっちゃ苦しいです。
けれど、視点を変えると、そのネガティブと同じくらいかそれ以上のポジティブが潜んでいるということなんですね。
おそらく「心配性であること」を変えるのは難しいので(というか、僕自身は37才まで、この性格を変えようと頑張って来ましたが無理でした( ̄▽ ̄;;)、「心配性の裏にあるポジティブな側面」を捉えるようにするのが良いと思うのです。
何かネガティブな感情が起こったら、それと同じくらいポジティブな可能性が潜んでいる
こんな視点を持てば、「心配性であること」を”幸せ”に変換できるかもしれません。
最後に(幸せを感じるために心配性は最強)
いかがでしたでしょうか?
幼少時代から色々なことに心配や不安を抱え、それを変えようとしても上手くいかず、37才になった今でも心配性を抱えている僕の視点から、お話をさせていただきました。
もちろん、僕よりももっと心配になりやすい性格の人のいらっしゃるでしょうし、その苦しさのせいで今まで喜びや感謝なんか感じたことがないケースもあるかもしれません。
ですが、この世の中のあらゆる原則として、ポジティブなことがあれば、必ずその裏側にネガティブな一面があります。
逆に、ネガティブな出来事や感情があれば、必ずポジティブな側面があるのです。
僕はいつも心配や不安が心を襲うので、それがツライし苦しいです。ですが、それゆえに、今日もいつもの日常が送れることや、家族・友だちがいてくれることが本当に有り難いです。
いえ。ここに存在できること……生きていられることそのものが本当に有り難いです。
だから、めちゃくちゃ幸せです。
心配性のネガティブ度合いと同じくらい、嬉しさや感謝や幸せを感じることができているのです。
たしかにこれって、向上心に繋がりにくかったり、夢や目標へ向かうための原動力にはなりづらいですが、
- 今ある現実に満足できる
- 足るを知る
という点においては、他に敵うものがないと思うのです。
ある意味、心配性であることは、喜びや感謝や幸せを感じるための“最強”の状態なのです。
ですので、今日から少しずつでもいいので、心配性をネガティブに捉えるだけではなく、ポジティブな側面にも視点を当ててみてはいかがでしょうか?
僕の考えが、少しでもお役に立てれば幸いです(^-^)