人がキライです。
って、いきなり問題発言をしてしまっていますが、もう少し柔らかく言うと「人付き合いが苦手」ということになるかもしれません。
そして、もっと深掘りすると、「人が嫌い」なのではなく、「人と接することが怖い」のです。
いつからこんな気持ちを抱くようになったのかはわかりません。
ですが、かなり幼い頃……3才から6才くらいまでの間に、自分の中にこういう信念が出来上がっていたように思います。
人と接すると、責められるし、批判されるし、怒られるし、悲しいし、こっちも怒るし、責めるし、自分にも他人にも幻滅して、落ち込んで、苦しんで……ということを繰り返して来ました。
今は30代も半ばを過ぎて、そこそこ人生経験も積まれて来たので、昔ほど人付き合いが苦手ではありません。
ですが、「人間がキライ」という気持ちは、今でも強く残っています。
いえ。「キライ」と言いつつ、本当は大好きなのです。
人間の美しい部分や素敵な部分をもっと愛したいし、人との繋がりを大切にしたいし、もっと深く人と関わりたいのです。
けれど、そうしようとしても、今まで傷つくことが多くて、「人が好きだ」と素直に思うことが出来なくなってしまったのだと思います。
- 「キライ」という気持ちの分だけ、「大好き」の気持ちも強い
- けど、素直に「好き」とは思えない
そんな厄介な状態とどう付き合っていくのか? ちょっと考えてみたいと思います。
ネガティブな話題でも書きます!
ブログへのご来訪、ありがとうございます! 「農マドワーカー」のいずばやしです。
冒頭からいきなり何を書いとんねん?!
って感じですが、ブログの執筆画面を開いたら、フワッと頭に浮かんだので書きました( ̄▽ ̄)
まさに、「こんなん出ました〜」状態ですし、
「いきなりこんな重いテーマかよ!?」
「コレ、どんな結論に持っていけばええねん?!」
って感じですが、とにかく思いつくままに書いてまいります!
人当たりが良いように見えて……
僕はどうやら、普段は穏やかで人当たりが良く、“優しい人”とか“良い人”とか思われることが多いようです。
妻に言わせると「そんなの全然違う!」ということですが、自分でも妻の意見に賛成です。
別に猫をかぶっているつもりはないのですが、自分が見ている僕は、
- 暗くて
- 怖くて
- 厳しくて
- 人への妬みが強いし
- 自分を肯定する力も弱いし
- 自分に自信がないし
- 何より、人と接するのが怖い
- というか、人がキライ
という人間です。
というか、以前にもブログの中で書きました。

外部の人には「優しそう」や「穏やか」と言っていただけるけれど、本当は内側に激しい自分を抱えていて、鬼のように厳しくなる一面があります。

その“鬼のような一面”を「オニバヤシ」と呼んだりしますが、要するに中身がめっちゃトゲトゲしているということです。
あ。でも、これは家族や身近な人に限ったわけではなく、仕事でも出ます。
以前はビジネスのコンサルティングをさせていただいていましたが、その時はまさしく“鬼”のように厳しく接していました。
おかげで、相手の方は毎回ヘコんでしまって、遂には活動をストップされたので、「あー。僕にはコンサルは向いてないんだな」とその仕事は辞めました。
んでもって、なんでこんなに厳しくなるかというと、人がキライだからです。
人が嫌いです!
だって、そうじゃありませんか?
人間って……
- 争うし
- 妬み合うし
- いがみ合うし
- 自己中心的だし
- 自分に得になることばかり考えるし
- 都合が悪いと逃げるし
- ごまかすし
- 嘘つくし
- 陰口言うし
- 悪口言うし
- 「やります」と言ったことをやらないし
- 「やる気あります!」というくせに全然行動しないし
- 夢や理想を語るばかりで現実を見ないし
- 人の気持ちや努力を理解しようとしないし
- 人の価値観を受け入れないし
- 自分の価値観や基準だけで判断しようとするし
- 自然を大切にしないし
- ご飯を粗末にするし
- ペットを捨てたりするし
- 動物にも優しくないし
- 最近は妊婦さんや子どもにも優しくないし
- 世の中には疲れた人ばっかりだし
- テレビのニュースを見ても暗くなるし
- 政治はどうでもいいことばっかやってるし
- 不祥事起こすし
- 不倫するし
- それを揚げ足取るようにとことん批判するし
- そのくせ自分が批判されるのは嫌がるし
- 自分の殻から出ないし
- 成長しようとしないし
- 目の前にある問題に取り組もうとしないし
- 自分のことばっかりだし……
なんかもう「ふざけんな!」って感じです。
人と接すると、悲しいことばっかりです。ガッカリするばっかりです。幻滅のオンパレードです。
それを、幼い頃からずっとずっと感じて来ました。
「人類なんか滅びてしまえ!!」
と思ってしまうこともありました。
それくらい、僕は人間のことがキライなのです。
実は自分のことが嫌い
が、かく言う自分自身も“人間”です。
どんなに「人がキライだ」と言っても、自分自身も“人”である事実は変わりありません。
そして、先ほど人に対して悪い部分を散々書きましたが、あれって実は、自分自身に対して思っていることです。
そう。僕は、自分のことがキライなのです。
- 人を批判したり
- 妬んだり
- 争ったり
- ズルいことをしたり
- 問題を直視しなかったり
- 現実と向き合わなかったり
- 自分のことばっかり考えたり
- 人に優しくなかったり
- 「成長したい」と言いながら成長できてなかったり
- 強がりを言いながら実はめちゃくちゃ弱っちい
そんな自分が大嫌いなのです。
つまり、先ほど人に対して悪く思ったことは、そのまま鏡の反射のように、自分自身に対して返ってくる言葉ということです。
人と接すると自分の嫌な部分が見えてしまう
ですから、僕は「人がキライ」と言いつつ、「自分のことがキライ」というのが真実です。
また、「人がキライ」というのは「人と接することが怖い」という一面を持っていますが、そうやって怖くなるのも、人と接することで自分の嫌な部分が見えてしまうから、というのが理由です。
先ほどと同じく、人に対する感情は鏡のように自分を見せていますから、誰かと接して傷ついたり、ガッカリしたり、幻滅したりするというのは、全て自分に対して思っていることなのです。
そして、そんな自分の嫌な部分を見たくないから人と接するのが怖い、となってしまうわけです。
こう考えると、なんかもう救いようがなくて、自分がダメダメで、他人に接することもできず、世間に対しても幻滅して、どんどん落ち込んでいきます。ネガティブスパイラルのブラックホールのようです。。。
ですが実は、ここから見えてくる“光”もあります。
自分が改善すべき点が見える
- 人がキライ = 自分がキライ
- 人と接するのが怖い = 自分の嫌な部分を見るのが怖い
ということは、すなわち「自分の改善すべき点が見える」ということです。
だって、「自分のここが嫌だな」「うわ。ガッカリする……」という気持ちが湧き上がるということは、自分はそこを「解決したい!」「改善したい!」と思っているわけです。
そうでなければ、「イヤ」とか「キライ」とかいう感情は起こりません。そもそも、問題とも思いません。
解決し改善したいという気持ちがあるからこそ、「イヤ」「キライ」という風に見えるのです。
ですので、言葉を変えると、「自分の嫌な部分が見える」ということは、「それだけ自分が成長したい」ということなのです。
そして、自分の嫌な部分は人と接することで鏡のように見えて来ますから、
人と接することが怖い(=人がキライ)というのは、それだけ自分自身のことが好きで、それだけ自分を成長させたい!
ということになるのです。
「嫌い」の分だけ「好き」が強い
お? 最初は超ネガティブに始まったこの記事も、何だかポジティブな展開を見せて参りました!( ̄▽ ̄)
そう! そうなんです!
「人のことがキライ」というのは、それだけ「人のことが好き」ということです。
ガッカリしたり幻滅したり、嫌な気持ちになってしまうというのは、それだけ人に対する愛情が深く、それだけ高い理想を持っているということです。
そして、その愛情と理想は、自分に対しても抱いているものです。
ただ、深い愛情や高い理想を持っていると、そこに達していない自分自身のことがイヤになってしまいます。
キライになってしまいます。
めちゃくちゃ幻滅してしまいます。
けれど、自分のことが嫌いになったり落ち込んだりするのって、それだけ自分に対して深い愛情と高い理想を持っているということ。
つまり、自分のことが大好きなのです。
そして、その深い愛情を抱き、高い理想を実現する自分になりたいのです。
「イヤな部分が見えてしまう」というのは、それだけ「改善したいところが見える」ということ。
だから、「人がキライ」「人と接するのが怖い」「自分のことがキライ」「自分はダメだ」というネガティブな感情には、その裏返しとして、
- とても人のことが大好きで
- もっと人と深く接したくて
- 自分のことが大好きで
- 自分をもっと成長させたい!
という非常にポジティブな面を持っている、ということになります。
だから、突き詰めると、「人がキライ」という感情はとても良いものだと言えるのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
あくまでも僕自身の心を分析して導き出した結論ですが、何かしらご参考になるところがあれば幸いですm(_ _)m
改めてポイントを整理すると……
- 「人が嫌い」というのは実は「自分が嫌い」ということ
- 「人付き合いが苦手」なのは、人と接することで自分の嫌な部分が見えるから
(鏡のように反射する) - でも、「嫌な部分が見える」というのは「自分の改善すべき点が見える」ということ
(「改善したい」「成長したい」という気持ちがなければ、そもそも「イヤ」とも感じない) - それはつまり、「自分のことが大好き」ということ
(深い愛情と高い理想を抱いている) - そして、「人が嫌い」というのも「人が大好き」の裏返し
- だから実は、「人が嫌い」「人付き合いが苦手」というネガティブな感情は、裏返すと「人のことが大好き」「人と深く接したい」という気持ちになる
となります。
とはいえ、いきなり「人が嫌い」の裏返しは「大好き」だから、もっと人を好きになりましょう! というのは厳しいでしょう(^^;;
僕自身、この結論に至りましたが、すぐに自分が人のことを大好きになれるかというと、全く自信がありません!
ですが、自分のネガティブな心の裏側には、きちんとポジティブな面が潜んでいる、と考えることで、すごく気持ちは楽になります。
まだまだ先は長いですが、一歩ずつでも自分自身の嫌なところと向き合って、改善して、成長していきたいです(^-^)
この記事が、あなたの人生のお役にも立ちますように!