昨日、4才の娘がインフルエンザの予防接種に行ってきました。
妻が連れて行ってくれたのですが、注射が痛くて泣いてしまったそうです。
しかも、小さい子どもの予防接種は2回受けた方がいいので、「もう一回射つよ」と言ったらすごく怖がってしまったそうです。
これを聞いて、僕は少し意外でした。以前の娘は、注射をあまり怖がらなかったからです。
ですが一方で、「これも成長なんだなー」と感じています。

子どもの成長というのは、“怖いこと”や“痛いこと”を覚えていくことなのかもしれません。
一見すると、“怖いこと”や“痛いこと”というのはネガティブなものです。けれど、大人になって他の人と関わりながら生きていくためには不可欠な要素だったりします。
自分の心をセーブせず何でもかんでもワガママ放題に行動していたら、他人と協調することができませんから。
その意味で“恐怖”や“痛み”というのは、自制を利かせるために有効な感情と言えます。
もちろん、過度に協調や他人の目を気にして、自分の本音が言えなくなるのは困りものですが、子どもの成長段階で“恐怖”や“痛み”を覚えていくことは、ある意味ポジティブなことだと思うのです。
生まれたばかりでは何もわからず、恐怖や痛みすら知らず、自分の想いをどんどん主張し、思った通りに行動し、はちきれんばかりのエネルギーを拡散させる状態から
(もちろん個人差があるので、誰でもかれでもエネルギーを発散するわけではないですけど)
- 大きくなる過程で色々なことを覚え、無秩序だった気持ちや行動を徐々にコントロールしていけるようになる。
- エネルギーをただ発散するだけの状態から、「抑える時は抑え、出す時は出す」という風に、効率よく自分のエネルギーを使っていけるようになる
そのための要素として、“怖いこと(恐怖)”や“痛いこと(痛み)”があるのかな、と感じたのでした。
なので、注射を嫌がる娘の話を聞いて、「この子も成長したんだなー」と感慨深くなりました(^-^)
そしてもう一つ、こんなことにも気づきました。
「子どもの成長が“恐怖”や“痛み”を覚えることなら、大人の成長は“恐怖”や“痛み”を乗り越えることだな」
……と。
人間とは何歳になっても成長する生き物だと思っています。
けれど、その“成長”の質は変わっていくものだと思うのです。
いつまでも子どもの頃にやっていたことを続けるわけにはいきませんから。
むしろ、子ども時代とは違った形の成長が必要です。
そういう考えで、昨日の娘を見ていると、「子どもは恐怖や痛みを覚えていくけど、大人は子ども時代に身に着けた“恐怖”や“痛み”を乗り越えることが大事なんだな」と思ったんです。
大人になると、いい意味でも悪い意味でも自分にブレーキをかけます。
「あれをしてはいけない」
「これは世間の常識じゃないから」
「人に悪く言われるから」
といった理由で、自分の本音ややりたいことがあっても抑えてしまいます。
それって、ある意味、
- 「その本音を言ったら誰かに批判されるかも」
- 「そのやりたいことをしたら失敗するかも」
という“恐怖”や“痛み”があるから起こります。
けれど、今の時代、自分の本音が言えなかったり自分のやりたいことができず、苦しんでいる人が多いのも事実。
むしろ、大人になってから本音をきちんと言ったり、自分のやりたいことに前進している人のほうが魅力的で、成功しているように見られます。
もちろん「何でもかんでも好き勝手やればいい」ということではなく、ある程度の自制を利かせながら、過度に“恐怖”や“痛み”にとらわれず、自分の本音ややりたいことを大切にするる、ということです。
そのためには、過去の子ども時代に見に付けた“恐怖”や“痛み”を乗り越える必要があります。
昔の経験から「この本音を言うのは怖い」「このチャレンジをしたら痛いかも」という想像や感情が湧いて来ることが、大人にはよくあります。
けれど、その想像や感情を乗り越えた先にこそ成長があるのです。
そんなわけで、以前は注射が嫌いではなかったのに今は怖がってしまう娘を見ながら、
「そうかー。自分もこうやって“怖いこと”や“痛いこと”を覚えてきたんだな」
と思ったのです。
そして同時に、
「これからは過去に身に着けた“怖いこと”や“痛いこと”を、自分の意志で乗り越えていきたいな」
とも思いました。
そうすることが自分にとっての成長であり、そこから家族や周りの方々にもっと貢献できるようになると思うので。
- 大人になるまでの成長は、“恐怖”や“痛み”を身に着けていくこと
- 大人になってからの成長は、“恐怖”や“痛み”を乗り越えていくこと
もともとメンタルが弱くてヘタレな自分ではありますが、自分の中にある“恐怖”や“痛み”と向き合っていきたいです!
そして、そのためにも、娘が成長していく様子を大切に見守りたいです(^-^)