「コレって、そういうものですから」という回答をしてしまいました。
僕はインターネットの使い方をお手伝いするオンラインサロンに関わっているのですが、そこでのご質問にこんな風にコメントしてしまったのです。
言葉を変えると「これが“常識”なので仕方ないです」という返答です。
ただ、そのコメントをしてパソコンを閉じた後、何とも言えない気持ちの悪さを感じました。
「ん? “そういうもの”?」
「“そういうもの”って、どういうもの??」
「てゆーか、“そういうもの”って何やねん?」
「常識だから仕方なくて、そのままでいろってこと?」
「それが当たり前だから諦めろ、ってこと???」
「いやいやいやいや。その“常識”や“当たり前”で困っているから質問くれたんちゃうの?!」
「その“常識”や“当たり前”を覆すのが、僕の仕事なんちゃうの!?」
そう。僕はいつの間にか、“常識”や“当たり前”の罠にハマっていたんです。
でも、その“常識”や“当たり前”って、僕の中だけのものなんですよね。もっと言うと、その分野に詳しい人だけに通じる“常識”です。
けれど、一歩その分野の外に出たら全然“常識”ではないわけで、それが“常識”でないからご質問を下さっているわけで……
- なら、“そういうもの”で終わらせたらアカンやろ!
- “常識だから”と言ってしまったら、せっかくの可能性が閉じるやろ!
そんなことを強く思ったのです。
経験や知識が増えることの弊害
ブログへのご来訪、ありがとうございます! 「農マドワーカー」のいずばやしです。大阪の郊外で自然農法の田んぼをしながら、インターネット関連の仕事をしています。
「インターネット関連の仕事」では、他の方がネットを活用されるお手伝いをしていて、日々、ご質問をお受けして回答させていただいたりしています。
最近では、自分の知識や技術を高めたくて、ウェブ関連の勉強も進めていました。
ですが、そうやって仕事の経験や知識が増えることで、思わぬ弊害が起こっていました。
しかも、気づかぬうちに・・・
ある分野の知識が“常識”になってしまう
僕の中でいつの間にか起こっていた弊害。それは何かと言うと、
仕事や勉強をすることで、その分野の専門知識が“常識”や“当たり前”になってしまう
というものです。
仕事や勉強で ある分野に日常的に触れていると、そこで交わされる会話や情報が、いつの間にか普通のことに感じてしまうのです。
以前の自分にとっては「すごい!」とか「新鮮!」と思っていたことが、感動や目新しさが薄れ、“常識”や“当たり前”に変わってしまったんですね。
ですが、その分野を知らない人にとっては、全然“常識”や“当たり前”ではありません。
となると、「コレは、そういうもの(=常識)ですから」というのは、相手の立場や気持ちを無視した回答です。
これでは“仕事”とは言えません。
知識を誰かのために活用できていないので、「勉強している」とも言えません。
元々は何のための仕事や勉強だったのか?
というか、僕が元々インターネットのお手伝いをするようになったのは、
「ITが苦手な人や まだ使い方がわからない人でも、楽しくネットを活用できる世の中にしたい!」
という想いからでした。
だから、むしろウェブ関連の“常識”や“当たり前”を知らない人に、その知識や技術をわかりやすく伝えるのが僕の仕事だったのです。
すみません……調子乗ってました!
ですが、昨日は「コレって、そういうものですから」「常識ですから」という回答をしてしまいました。
一夜明けて振り返ると、「お前、何様や!?」って感じです。
なんかもう、「何を言ってるんや?」って感じです。「調子に乗るな!」って感じです。
……はい、すみません。わたくし、調子に乗っておりました。
少し勉強したくらいで、ちょっと知識が増えたくらいで、調子に乗ってしまっておりました。
本来の目的を忘れて、「そういうもの」や「常識」で片付けようとしてしまったなんて、切腹ものです!!(T0T)
“常識”や“当たり前”をぶち破れ!
そんなわけで、今朝は起きてから
「何か良い解決策はないか?」
「常識をぶち破る方法はないか?」
と考え、改めて回答させていただきました。
結果、とっても喜んでいただけたようなので、本当に良かったです(*T^T*)
「自分のため」にこそ“常識”を壊す
でも、これって完全に「自分のため」だったんですよね。
昨晩の回答をしてパソコンを閉じた後、悶々としたものが胸に湧いて来ました。
「たしかに、“そういうもの”なんだけど、なんか違うんだよな……」
「こんな回答で良かったのかな???」
「いや。良くないよ……。本当に自分がしたい答えって何?」
みたいなことをずっと考えていたんです。
そして、
「違う! 僕がしたかった回答はこんなんじゃない!
「“そういうもの”とか“常識”とか“当たり前”で終わらせたくなんかない!」
「誰もが楽しくネットを活用できる世の中に、オレはしたいんだ!」
という感じで、途中で一人称が変わるくらい、重要なことに気づいたのでした。
そうやって、自分の理想へ向かうために、“常識”や“当たり前”を振り払い、回答させていただくことができたのです。
頑張った時こそ本来の理想や目的を見つめ直す
でもでも、これって、仕事や勉強を長く続けていると、どうしても起こってしまうものなのかな?と思います。
先ほども言ったように、日常的にその分野に触れていると、元々持っていた興味や新鮮さが薄れていってしまいますから。
気づかぬうちに“常識”や“当たり前”に変わってしまいますから。
仕事を頑張って自分が成長できたときや、たくさん勉強をしたときこそ、自分を客観的に見つめ直すことが大切ですね。
そして、元々の自分が持っていた理想や目的を思い出すことが、本当に重要です!
初心忘るべからず!
いかがでしたでしょうか?
一言で言ってしまえば、「初心忘るべからず」ということになるでしょう。
でもでも、このシンプルな言葉の中に、とってもとっても大事な意味が含まれていると思うんですよね。
- 長く仕事や勉強を続けると、その分野の知識が“常識”や“当たり前”になる
- しかも、自分が気づかぬうち、いつの間にか そうなってしまう
- “常識”や“当たり前”になるのは、ある意味での成長だけれど、他の人とのギャップも生まれてしまう
- そのギャップを認識し、それを埋めるように相手と向き合うことで、次の可能性が生まれる
- いわば、できあがった“常識”や“当たり前”をぶち壊すことが、めちゃくちゃ大事!!
という感じになります。
思わず調子に乗ってしまい、その失敗から学んだことですが、何かしらご参考になれば幸いです(^-^)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!