妻と娘が出ていきました。めっちゃピンチです。
あ。でも、ケンカしたわけではありません。単に、泊りがけで遊びに出ているのです。
ですが、こうやって他の家族が出て行って、家に一人ぽつんといると、かなりツライですね……。めちゃくちゃ寂しいです。寂しいを通り越して、発狂しそうです。
ここ最近のブログでは、
- 妻が子どもを外出したらどうなるか?
- 男が小さな子どもと過ごすにはどうすればいいか?
といったことを書いて来ました。
こういった流れの中で、
「妻が泊りがけで出て行っても大丈夫!」
「僕一人でも子どもと楽しく過ごせる!」
という状態になっていたのですが、思わぬ落とし穴がありました。
それが、「妻も子どもも両方出ていくと、すぐにダメになる」ということです。
今回は、そのことについて考察を進めていこうと思います。
妻と娘がいないと不幸のドン底
ブログを訪れていただき、ありがとうございます! 「農マドワーカー」の泉林です。
大阪の郊外で無農薬のお米づくりをしながら、インターネット関連の仕事をさせていただき、家族とも楽しく幸せに暮らさせていただいています。
ですが、今の僕は不幸です。
もう、不幸のドン底です。
冒頭で書かせていただいたとおり、今日は妻と娘が遊びに出ていきました。明日まで帰って来ません。
その遊びに行くときに、僕は車で駅まで送っていきました。旅立つ彼女たちを笑顔で手を振って見送りました。
その時は、幸せでした。
ですが、その後 数時間と経たずして、ドン底にまで落ち切ってしまったのです。。。orz
早くも発狂しそうです
先日の記事『子どもを置いて妻が外出すると夫はどうなるのか?』では、こんな風に書きました。
妻の不在が3日以上続くと、気分がとても落ち込んだり、仕事のパフォーマンスが落ちたりします。普段1時間でできていることが、3〜4時間かかったりするくらいです。時には、発狂しそうにもなります。
そう。“妻”という存在は大きくて、数日間 留守が続くと、発狂しそうになるのです。
それがどうでしょうか?
今の僕は、もう発狂しそうです……。
今朝には楽しく過ごしていたはずなのに、妻と子どもが家からいないだけで、一日と経たずに発狂してしまいそうなのです。
あ。この「発狂」という表現はわかりにくいかもしれませんね。もう少し具体的に言うと……
- 家にあるお菓子を全て食い散らかしてしまいたい
- 冷凍庫にあるアイスボール60個入りパックを全部食べ尽くしてしまいたい
- 家族の衣類ダンスを全部ひっくり返してしまいたい
- パソコンを放り投げてぶち壊してしまいたい
- ついでに仕事も趣味も全部放り出してしまいたい
- 家の窓ガラスに石ころを投げつけて全部ぶち割ってしまいたい
- バイク運転できないのに盗んだバイクで走り出したい
という、尾崎豊も真っ青な心理状態です。
妻が一人いない状態であれば数日もっていたはずの心が、妻も娘も両方いなくなると瞬く間に“発狂”寸前の状態へと落ち込んでしまったのでした。
本物の幸せは誰かから届けられる
ここで思い出したのは、ある人の言葉です。
自分で見つけた幸せは本物じゃない。本物の幸せは誰から届けられるものだから。それに気付ける人が幸せで、気づけない人は不幸せってだけで、結局のところ幸せは誰にでも届けられてるんですよ。ただそれに気づけるか?気づけないか?の違いがあるだけ。ここでその人のあり方が浮き彫りになる。
— ともたけ@JGC修行中 (@f_tomotake) 2018年1月12日
ここに書かれてあるように、本物の幸せは誰かから届けられるもの
。そのことをめちゃくちゃ痛感しています。
妻と娘がいないと、僕は全く幸せを感じられない!
つまり、逆に言えば、僕はいつも妻と娘から幸せを届けてもらっていた!ということなのです。
だから、彼女たちがいないと、短時間で一気にドン底に落ちてしまったのでした。
ですが、このことによって、「普段の幸せが誰から届けてもらっていたものなのか?」をハッキリ気付くことができたのです。
一人で自由に過ごせるはずが……
ただ、正直なところ、妻と娘が出かける前は、こんなことになるとは思っていませんでした。
「ふふふふふふ。彼女たちが出かければ俺は自由だ」
「一人で自由な時間を満喫することができる!」
と、逆に楽しみにすらしていたくらいです。そして、溜まっていた仕事や確定申告の準備をしようと思っていました。
ですが、その予想や期待に完全に反して、気持ちはだだ下がり。意欲が全く湧かず、仕事も確定申告も全然進んでいません。
もう、なーーーーーーーんにも できません!
「男って……こんなに弱いものなのね?」と、自分の弱さを突きつけられております。
特に、晩御飯などは地獄のようで、いつもは妻と娘とあれこれ話をしながら、時には好き嫌いの多い娘を叱ったりしながら過ごす食事の時間が、見事に「シーーーーン・・・」としていて、その静寂が心に襲って来ました。
食事の時間が、まるで拷問のようでした。
まとめ
……と、これまでツラツラと書いてきてしまいましたが、一体何を言いたいのか、自分で全くわかりません。
「つれづれなるままに」という書き出しで始まる古典『徒然草(つれづれぐさ)』を知ったとき、
「何で目的もなく文章を書けるねん?」
「それが何で名作になっとんねん?」
と意味がわからなくて、憤りに似たものを感じたものでしたが、今の僕はまさに“つれづれぐさ”状態です。
完全に無目的に、心に浮かぶままに、この文章を書かせていただいています。
ただ、『徒然草』と違って、絶対に“名作”にならない文章なのは確実です。
ですが、それでも今日の記事に何らかの目的を持たせようと思うので、無理やりにまとめると……
- 今までの訓練によって、妻の外出は平気になった
- 3才の娘と二人きりで過ごすことも楽しくなった
- だが、妻と娘が同時にいなくなると、かなり大きなビッグバンインパクト
- 妻がいなくなると発狂するまで数日かかったが、二人がいなくなると数時間で発狂
- 「一人になれて自由だ〜♪」ということにはならず、逆にめちゃくちゃ落ち込む
- これはつまり、普段から妻と娘に幸せを届けてもらっているということ
- 要するに「家族に感謝しましょう!」ということ
になります。
あなたのご家庭でも、誰かが泊りがけで外出されるときは、十二分にご注意くださいませ!!