子どもがケガをしました。
その瞬間、
「面倒なことを起こすんじゃねえ!」
「親に迷惑かけるなよ!」
と思ってしまいました。
いえ。もちろんケガを心配しましたし、「だいじょうぶ?」と声をかけました。痛いところを聞いて手当し、病院にも連れていきました。
けれど、心の奥で、ケガしたことに対して腹を立てている自分がいたんです。
「なんでこんな、親の邪魔になるようなことをするんだ!?」
……と。
正直、そんな感情が起こることを自分で認めたくありませんでした。
だから、子どもに対して怒りをぶつけたりはしませんでした。
けれど、腹立ちが起こったことは確かだったので、その気持ちとちゃんと向き合ってみることにしたのです。
子どもが突然ケガをしてしまった
ブログへのご来訪ありがとうございます! 「農マドワーカー」のいずばやしです。
我が家には4才の娘がいるのですが、昨日、腕をケガしてしまいました……。
ショッピングセンターのプレイスペースで遊んでいたところ、左腕を打ったか捻ったかしたらしく、かなり痛がって泣いたのです。
僕と妻が数分間 目を離したすきに起こった出来事でした……orz
すぐに病院に連れて行ったところ、骨に異状はありませんでした。ですが、痛みは続いていたので、関節が動かないように腕を固定することになりました。
(ギプスまではいかず、添え木をしたような感じです)

客観的な事実はこんな感じで、おそらく問題はないと思います。
けれど、僕の心の中ではドロドロとした感情が生まれていたんです。
「親に迷惑をかけるな!」と子どもに腹を立てた
「なんでこんなことになるねん!?」
「ふざけるなや!」
ケガを知ったとき、一番最初に起こった感情です。
さすがに、これをこのまま娘にぶつけることはなく、冷静さを保ったままケガの手当てをしましたが、心の奥にはこんな腹立ちが渦巻いていたんです。
「親に何度 迷惑かけたら気が済むんや?!」
……と。
実は、ちょうど2ヶ月前にも、娘は大きなケガをしていました。

骨折の疑いで足にギプスを巻いたのですが、幼稚園へ行けなくなったり色々と大変でした。
だから、今回もこの時の記憶が蘇って、
「またか?!」
「もうカンベンして!」
という気持ちになったのです。
いつもは「この子のためなら何でもする」「どんなに迷惑をかけられてもいい」と思っているのに、完全に矛盾する気持ちが生まれたのでした。
なので、自分の腹黒さと親としての未熟さを痛感しました。
どうしてこんな感情が生まれたのか?
ただ、「どうしてこんな感情が生まれるんだろう?」ということも考えました。
娘を病院へ連れて行って診察を受けている間、自分の心をじっと見つめていたんです。
すると、あることに気づきました。
「あ。これって、自分の子どもの頃の経験が原因だ!」
ということに。
今回、僕の中には
- 面倒なことを起こすな!
- 親の邪魔をするな!
- 親に迷惑をかけるなよ!
という気持ちが起こりましたが、これと同じことを、自分の幼少期に親から言われていたことに気付いたのです。
幼少期に親から受けた経験が原因
僕の父はどちらかというと躾(しつけ)に厳しいほうで、怒られるときは結構激しかったです。
そして、子どもである僕の行動を制されることもありました。
例えば、、、
- 無邪気に元気に遊んでいると、「うるさい」「静かにしろ」と怒られる
- 自分の好きなことをしていると、「もっとこうした方がいい」「その方法はダメ」と指導される
- 純粋に甘えたくて駆け寄っていくと、「今は忙しい」「邪魔するな」と言われる
- 風邪を引いて咳をしていると、「周りの迷惑になる」「我慢しろ」と言われる
という感じです。
あ。これだけ見るとヒドイ親のように思われるかもしれません。でも、両親は僕のことをちゃんと大切にしてくれてました! ここではわかりやすく事実を切り取って書いていますが、背景にはちゃんと愛情や思いやりがあったのです。
ただ、こういった経験により、僕の中にある考え方が形成されました。
- 子どもは親の邪魔をしてはいけない
- 子どもは親に迷惑をかけてはいけない
- 子どもは親にとって“いい子”でいなければいけない
この考え方(価値観)が幼少期に作られて、それを持ったまま僕は大人になったのです。
そして、この考え方が、今回の娘のケガでもひょっこり顔を出したのでした。
子ども時代に形成された価値観が影響する
今回、娘がケガをしたときに腹を立ててしまったのは、
「子どもは親に迷惑をかけてはいけない」
という価値観が心の奥にあったからです。
普段は「この子のためなら何でもする」「迷惑なんてどんどんかけろ」と頭では思っているのに、実際にハプニングが起こると、心の奥に閉じ込めていたものが出て来てきたのです。
それゆえに、自分の普段の思考とは裏腹に、
「面倒なことを起こしやがって!」
「親に迷惑かけるようなことをするな!」
という怒りの感情が生まれてしまったのでした。
ですが、この感情を更に紐解いていくと……
- 僕は子どもの頃、親に迷惑をかけて怒られた経験がある
- そのときにツライ想いをした
- そして、そのツライ想いをまだ消化できていない
- だから、自分と同じような状況の人を見ると、同じようになってもらいたい!
- 自分の子どもなら特に、自分と同じになってもらいたい!!
というメカニズムが働いたのだと思います。
つまり、自分が幼少期に親に迷惑をかけたときに怒られたから、「自分の子どもが面倒なことを起こしたら自分も怒るべきだ」という思考回路が形成されていた、ということです。
これは自覚のないままに、いつの間にか形成されていました。
そして、今回の娘のケガで表面化したのでした。
子どもの頃の自分を癒やす
だから僕は、心の中で娘に謝りました。
表立って怒ったり感情的にはなっていませんでしたが、自分の中で娘に対して腹を立ててしまったので、そのことに対して謝りました。
「ケガして痛いのは君なのに、“面倒なこと”なんて思ってごめんね」
……と。
そして、娘だけではなく、自分自身にも謝りました。
「子どもの頃からずっとツライ想いを抱えていたんだね」
「ちゃんと気づかなくてごめんね」
……と。
いえ。謝るだけではなく、“なぐさめて癒やす”という感じでしょうか。
自分の心の奥に、親に怒られて傷ついている幼少期の自分がいるので、その子を優しく抱きしめる感じです。
泣いている幼少期の自分に「大丈夫だよ」と言いながら、背中をぽんぽんとさすってあげる感じです。
そうしていると、自然と怒りや腹立ちの感情は消えて、ニュートラルな状態に戻っていきました。
すると、娘にも冷静な気持ちで接することができるようになったのです。
自分の痛みや苦しみを次の世代に渡さない
こうやって考えると、子育てって本当に深いですね……。
頭では「こんな風に育てたい」「こんな理想がある」と思っていても、過去の自分の経験や感情が邪魔してしまうことがあるので(^^;;
なので、どんなに子育てを頑張っても、親ってどこまでいっても未熟なのかな、と思います。
「育児は育自」という言葉がありますが、本当に子どもには学ばされることばかりです。
ただ、たしかなことはあって、
自分が親から受けた痛みや苦しみを、自分の子どもに引き継がないようにしたい
ということ。
子育てをしていると、今回の僕のようにひょっこりと幼少期の傷や苦しみが顔を出したりします。そして、それと同じ経験を、子どもにもさせようと無意識にしてしまいます。
けれど、それが続くと、次世代にまで苦しみや痛みを引き継いでしまいます。
本当は自分が嫌で苦しかったマイナスの経験を、未来の子どもたちにも渡してしまうことになるのです。
個人的に「それはしたくない!」と強く思います。
だから、子育ての中で自分の未熟さや過去の痛みが出てきた場合は、それを意識的に把握して、自分の子どもにツライ想いをさせないように、自分のところで止める必要があるのです。
そうでないと、負の連鎖がいつまでも続いてしまいますから。
今回も何とか娘に感情をぶつけずに済んだので、自分としては合格点かなと思っています。
(理想は、ネガティブな感情そのものを抱かないことですけど、まだまだです(^^;;)
でも、自分の中にはまだまだ痛みや苦しみがあるし、未熟な部分はこれからも沢山出てくるでしょうから、そこに流されずに意識的に改善する努力をしたいと思うのです。
今回のケガは幸い大したことがなかったので、無事に元気に生きていてくれる子どもに感謝しながら、これからも親として成長したいです!