台風で倒れかけた稲が復活しました。
4日ほど前、台風20号(2018年)が通り、田んぼの稲が傾いてしまいました……。
ですが、今日 田んぼを見に行ってみると、真っ直ぐに戻っていたのです。
……いえ。正確には「まっすぐ」というわけではありません。

こんな感じで、いったん傾いたものを戻そうとして、茎が微妙に曲がってしまっております。
ですが、「天に向かって伸びよう!」という稲の意気込み(?)が伝わってきて、かなり感動しました。
ちょっと泣きそうになりました(T-T)
台風の直後には「自分が田んぼに入って、傾きを手で直した方がいいかも」と思ったのですが、それは全く不要だったようです。
それよりも、「相手を信じて待つ」。これが最大の対策だったようです。
そして、これはきっと稲や農業だけでなく、人間関係や人生全般に言えることでしょう。
相手に“期待”してしまいます
ブログをご覧いただき、ありがとうございます! 「農マドワーカー」のいずばやしです(^^) 大阪の郊外で自然農法の田んぼをしながら、インターネット関連の仕事をしています。
僕は人と関わるとき、どうしても“期待”をしてしまいます。
- こんな風になって欲しいな
- きっとこんな風にやってくれるだろう
- 自分はこれだけのことをしたのだから、これくらいのことが起きるはずだ
みたいな感じで。
特に、ネットの仕事の中では、ホームページやブログのサポートもしているので、そこで何かをお教えしたり作業をお手伝いしたりすると、
- きっとホームページを使いこなしてくれる!
- きっとブログでどんどん発信してくれる!
と思ってしまいがちです。
ですが、その“期待”が実現することって、本当に少ないのです。
相手の行動はコントロールできない
もちろん、それは僕の教え方や使い方に問題があるのでしょう。
ですが、一生懸命にお手伝いさせていただくと、どうしても結果を“期待”してしまいます。お伝えした通りに動いて欲しいと思ってしまいます……。
それはお金がどうこうではなく、「こちらの頑張りに見合った分だけ行動で返して欲しい」という、純粋な“期待”が生まれてしまうのです。
けれど、それって結局はこちらの勝手な思い込み。
相手の行動はあくまでも その人の意志とご判断に基づくものなので、こちらがコントロールできるものではありません。
ですので、こちらの“期待”のとおりにはならず、ガッカリしてしまうことが多々ありました。
でも、“期待”するクセが抜けなくて……
ガッカリについては、以前にも書かせていただいています。

↑こちらに書かせていただいたとおり、「人への期待」がガッカリの原因になってしまうんですよね。
ですので、
- そうなのだ。人に“期待”してはいけないのだ
- こちらが出来るのは、“どうやって伝えるか?”を工夫することだけ
- 情報や技術やモノを提供することはできても、相手の行動までをコントロールすることはできないのだ
そんなことを散々思ってきました。
けれど、頭ではわかっていても、どうしても“期待”してしまう癖が抜けませんでした。
それに、「こちらが頑張った結果を見せてほしい」という想いもありましたし。
冷静に考えれば、それらは勝手なエゴ以外の何物でもないのですが、それを手放しきれずにいたのです。
自らの力で立ち上がった稲たち
ですが、そんな中で、今日の稲に出会いました。
先日の台風で傾いてしまったのに、見事に復活した姿を見せてくれたのです。
つい2〜3日前までは、稲たちは台風の被害でかなり傾いていました。
(おそらく昨日見たときも、まだまだ傾いていたと思います)
なので、「ちゃんと起きられるように、僕が田んぼの中に入って、手で起こしてあげなければ」と思っていました。
ただ、田んぼの中を歩くと、大事な稲の根っこを切ってしまいます。
また、外側から手の届くところの稲を起こしたのですが、またすぐに倒れてしまい、あまり効果がないようでした。
ですから、僕の手で稲を起こすことを躊躇していたのです。
ですが、それが結果的には大正解でした。
僕が手を入れずとも、稲たちは自らの力で立ち上がったのですから。
相手の領域に土足で踏み込んでいた
「そうかー! そういうことだったのかー!」
と、僕にとっては色々なことが腑に落ちました。
今までは、誰かのサポートをしたときは、後になってからでもアレヤコレヤと気にかけたり、色々とお手伝いをしてしまっていました。
ですが、それって完全に余計なお世話で、相手の領域に土足で踏み込むようなものです。
いわば、稲たちが育つ田んぼの中にズカズカと入っていって、大切な根っこを切ってしまったり、土壌を荒らしてしまっていたというわけです。
となると、僕が「相手を助けたい!」「お役に立ちたい!」といくら思っていても、完全に逆効果。想いとは裏腹に、相手の方にとっては、自分のペースを乱されたり意欲をそがれたりしてしまいます。
僕としては「良かれ」と思っているのに、むしろ相手の状況を悪化させていた、というわけなのです。
相手を信じて待つことが何よりの貢献
「相手を信じて待つのが、何よりのサポートなのだ」
復活した稲を見ながら、そんな風に思いました。
「手伝い」や「サポート」「お役に立つこと」というと、どうしても何らかのアクションを起こすことを考えてしまいます。
もちろん最初の段階では、できるだけ丁寧に情報をお教えしたり、苦手な作業を代行したり、こちらが提供すべきことがあります。
ですが、それが一通り完了したのなら、後は何もしないで待つ。
- 相手の領域に踏み込まずに、待つ。
- 相手が自ら立ち上がるのを信じて、待つ。
ということが、何よりも大切だと気付いたのです。
仮に手を出すとしても、相手から求められた場合でしょうね。でなければ、余計な手出しをしないほうがいいでしょう。
そうやって、「余計な手出しをせず、相手の意志と能力を信頼して待つ」ことの大切さを、稲に教えてもらったのでした。
他人だけでなく家族にも
いかがでしたでしょうか?
当たり前といえば当たり前の話なのですが、稲が復活した姿があまりにも感動だったので、思わず書かせていただきました。
けど、「相手を信じて待つ」って、他人に対してだけではなくて、身近な人に対しても言えることですよね。
子どもに対してもそうだし、妻や夫や恋人といったパートナー、両親に対してもそうです。
特に、子どものような年齢が下の存在に対しては、“期待”やコントロールをしてしまいがちです。
けれど、子どもであっても立派な人間。自ら立ち上がる力と意志を持っています。
であるなら、子どもに対してこそ、余計な“期待”やコントロールをせずに『信じて待つ』の姿勢で臨むことが大切だと思うのです。
……って、言うのは簡単で、実際にはなかなか出来ないんですけどね(^^;)
でも、稲たちが力強く立ち上がった姿を忘れずに、子どもをはじめ家族に対しても『信じて待つ』で接していきたいと思います!
あなたにとっても、ご参加になるところがあれば幸いです(^-^)