メンタル

「嫌われたくない」と思ってもいい!嫌われる勇気への疑問

お米作りは一人ではできない

『嫌われる勇気』という本が話題になりました。

その影響か「嫌われてもいいんだ!」という主張が増えたように思います。

でも僕は、その考えには疑問です。

むしろ、「日本人が嫌われる勇気を持つのは難しい」と考えています。

なぜなら、日本人が長年続けてきた米作りは、周囲の人たちと協力しなければ出来なかったからです。

人から嫌われずに仲良くすることで、お米を収穫することができ、日々の食べ物を手にすることができていました。

つまり、「嫌われないこと」は生きるために必須であり、逆に「嫌われること」は“死”に近づくことを意味したのです。

ですから、日本人の「嫌われたくない」という感情は生存本能に根ざしており、“嫌われる勇気”を持つのは難しいのではないか、と考えています。

「嫌われたくない」という感情は悪か?

って、いきなり『嫌われる勇気』を否定するようなことを書きましたが、僕は『嫌われる勇気』の本が好きです♪

「そうか! そういう考え方があるのか!」と発見がありましたし、続編の『幸せになる勇気』も読んで、生きるのがとても楽になりました。

ただ、『嫌われる勇気』がブームになった頃からか、“嫌われること”が過度に推奨されるようになったと感じます。

  • 「嫌われるのは良いことだ!」とか
  • 「自分と価値観の合わない人とは仲良くならなくていい!」とか

そんな発信を、ネットでよく見かけるようになりました。

『嫌われる勇気』の本は、決して「嫌われてもいい!」という話だけではないのですが、どうやらタイトルが一人歩きしているような感じで……。

さらに、日本人の特性に言及し、

  • 日本人は人に嫌われないようにして、自分の主張をしない。それがダメなところだ。
  • 日本人は自分とは意見が違う他人がいると、その人と「仲が悪い」「嫌われた」と思いやすい。「嫌われること」に過度に反応する。

といったことも目にします。

つまり、「嫌われたくない」という気持ちは悪だという主張が多くなっているようなのです。
(僕の主観がそうキャッチしてるだけかもしれませんけど(^^;)

もちろん『嫌われる勇気』の影響だけではないかもしれません。そういう時代の流れなのかもしれません。

ですが僕は、「嫌われたくない」という感情を持ったっていいと思っています。

「嫌われたくない」という感情は無くせない?

というか、正確にお伝えすると、

「嫌われたくない」という感情を捨て去るのは、日本人には難しい

と考えています。

もちろん個人差があるので、「嫌われたっていい!」と簡単に思える人もいるでしょう。

ですが、大まかな傾向として、日本人は「嫌われたくない」という思考が働きやすいと思うのです。

なぜなら、日本人は長年に渡って、近隣の人と協力してお米作りをし、それを生きる糧としてきたからです。

人と協力するから食べられた

僕は農薬や化学肥料を使わない自然栽培という方法で、お米を育てています。そして以前は、ほとんど機械を使わず、手作業でお米づくりをしていました。

ここから学んだのは、「機械無しでお米づくりをするのは、めっちゃ大変!!!!」ということです。

それはもう本当に、想像を絶するくらい大変な労力と手間がかかりました。

そして、ハタと気づきます。

「そうか! こんなに大変なことだから、近所の人と協力しあって、田植えや稲刈りをしていたのか!」

……と。

僕自身は昭和56年の生まれなので、手作業でお米づくりをしていた様子を実際に見たわけではありません。ですが、歴史の教科書で、昔の人が大勢で田植えをする写真や絵を見たり、自分の祖父母や近所のお年寄りから昔の様子を聞いたりしていました。

つまり、農業機械が普及するまで、日本人は長い年月に渡って、近隣の人たちと協力しながらお米づくりをしていた、というわけなんです。

そして、そのお米を食べて生きていました。

ですから、わかりやすくまとめると、

近隣の人たちの協力がないと生きていけない

というのが、昔の日本だったのです。

実際のところ、江戸時代までの農民はお米を食べることは少なかったと聞きます。年貢でほとんど取られてしまうので、お米以外のものを食べていたのだそうです。ただ、他の作物を食べていたにしても、近隣との協力は不可欠だったと考えるので、ここでは“お米”に焦点を当てて話を進めます。

「人に嫌われる」=死

これは逆に言えば、「人に嫌われると生きていけなかった」ということです。

近隣の人に嫌われて協力を得られなくなると、自分が食べるためのお米を作れなくなります。

食べるお米が生産できないと、当然ながら死の危険が迫ります。

ですから、日本人の中に

  • 人に嫌われたくない
  • 人の目を気にしてしまう
  • 周囲の空気を読んでしまう
  • 自分の気持ちより協調を優先しよう

という人が多いのは当然と言えます。

「人に嫌われれば、自分の生命が危うくなる」という時代が永く続いたのですから。

これが今でも、多くの人の考え方や習慣に根強く残っているのではないでしょうか。
(おそらく幼い頃に無意識に刷り込まれてしまう)

「嫌われてもいい!」という時代の流れ

ですが、その反動なのか? 西洋文化の影響なのか? 『嫌われる勇気』の影響なのか? はたまた時代の流れなのか? 最近の風潮として、「人に嫌われる勇気を持とう!」という主張が多くなっています。

  • 他人のことより自分のことを大切にしよう!
  • 人に嫌われたって、自分の好きな人生を生きよう!

という風に。

それはとても良いことだと思います。

新しい変化が起こっているということですから。

ただ、ここで避けたいのは、

「人に嫌われたくない」と感じたときに、「そう感じる自分はダメだ」と考えてしまうこと

です。

「嫌われたくない」と思ったっていい!

かく言う僕も、この考えにハマってしまっていました(^^;

もともと小さい頃から気が弱く周囲の目を気にすることが多かった僕は、大人になってからも人に気を遣ったり、「嫌われたくない」という感情を抱いていました。

いえ、今でも抱いています。この記事を書きながら、今これを読んでくださっているあなたに「嫌われたくない」と思っています。

そして、そんな自分を「ダメな奴だ」と思っていました。

  • 今の時代は、自分の意見を率直に言えるようにならないと!
  • 人のことを気にしてばかりで、自分の好きなことをする覚悟が足りない
  • 「嫌われたくない」と思うのも、結局は自分の身を守るためだけじゃないか……
  • こんな自分は、なんてダメな人間なんだ……orz

という風に。

ですが、先ほどの話を踏まえれば、こんな風に自分を責める必要は全くないのです。

「嫌われたくない」という感情は、長い間、日本人が生き抜くために必須だったのですから。

だから、自分の中に「嫌われたくない」という感情があるのは当然ですし、この感情を否定する必要も全くありません。

「嫌われたくない」と思ったって全然いいのです。

次の時代へ進むために

とはいえ、「嫌われたくない」という感情が“良いもの”とも言えません

「嫌われたくない」という感情は、機械が無い時代、集団で米作りする上では欠かせませんでした。しかし、今ではお米作りは大規模に機械化され、他人の協力を借りる必要がなくなっています。

また、その他の大きな変化として、今の時代は世界とグローバルに繋がっています。仕事でもプライベートでも、世界の様々な人たちとコミュニケーションを取ることが必要になっているのです。

そんな中にあって、「嫌われたくない」「人に良く思われたい」という感情に縛られて、自分の価値観や考えを主張できないままでいては不利益を被ってしまいます。

ですので、これからの時代は、

「嫌われたくない」という感情があることを肯定した上で、次の時代のために「自らの意見を主張する」という新たな習慣を身につける

ということが必要になるでしょう。

あくまでも個人的な考えですが、「嫌われたくない」という感情を受け入れつつ、次の時代に合った生き方に変えていけたらと思うのです。

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POSTED COMMENT

  1. Mr.遅れがっちー より:

    過去記事にいまさらコメントしていいのかわかりませんが、同感です。
    嫌われる勇気だけではダメで、プラス、認められる努力というのが必要なんだと思いました。

    • Mr.遅れがっちー さん

      コメントありがとうございます!
      (過去の記事とか関係ないですー。うれしいです(*^^*))

      たしかに、認められる努力 大事ですね!

      きっと嫌われる勇気も、これからこ時代には必要なんでしょうけど、
      それだけに偏るのではなく、色んな勇気や努力をバランスよく持つのがいいのかなー、と感じました。

      貴重なコメントを本当にありがとうございました☆